世界の写真」では
国別に小松の撮影した写真をお見せしています。

ツアコンモバイル通信」は
日本旅行HP内に掲載した
お話を国毎にまとめました。

手作りの旅》は
こま通信」企画の旅です。
こま通信のお問い合わせは
komatsusin2@gmail.com

までお願いします
ユーザ名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録


★ こま通信日記 ★


2013 年 1 月
  1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31   


Search
タリン旧市街を歩く〜サミュエル・グレイグの墓
2013-01-22
《手造の旅》フィンランド砕氷船とエストニア8日、第二日目。

写真は、タリン旧市街上の町トームペアにある大聖堂内のひとつの墓。

青い×印十字架は聖アンドリューのもの?いや、スコットランドの紋章とは青白が逆になっている。しかし、これはスコットランド人の墓ではあった。なぜ、エストニアに18世紀スコットランド人の墓があるのか?

サミュエル・グレイグは1736年、スコットランドでも歴史的に重要なファイフにある街で生まれた。※聖アンドリュースの街も同じ行政区にある。

少年時代から海軍に所属し、頭角をあらわし、ロシアが自国海軍の質を向上させるため、イギリスに適任者を派遣してくれるよう要請した際、選ばれてロシアへ行く事になった。

1770年34歳の彼はトルコとの海戦で名をあげ、ロシア帝国からの信頼を厚くする。ロシア帝国内で提督にまで昇進。※この海戦の後ロシアで生まれた彼の息子アレクセイも後に海軍提督になる。

1788年、バルト海におけるスウェーデンとロシアの戦いにおけるホグランドの海戦に勝利するも、その後に熱病にかかり、ラヴァル(現在のタリン)に運ばれ、数日後に死去。ロシア皇帝は自らの侍医も派遣して彼の治癒を願ったが、叶わなかった。

彼の生涯を調べていて、この墓の上の旗はスコットランドのものではなく、ロシア海軍のものだと気付いた。ロシアのもうひとつの海軍旗はイギリスのものにもよく似ている。ロシア海軍がイギリスの海軍とつながりが深いことが、このデザインの理由になっているのかもしれない。

**
この日のタリン旧市街見学は青空と雪景色がとても美しかった。
上の街トームペアの様子はこちらから
http://blog.goo.ne.jp/komatsusin/e/ba07b79c06070a5a9c3c1b6b09c8fa5f
下の街はこちらにて
http://blog.goo.ne.jp/komatsusin/e/fc54f5c9a8babd8e05431aef102e8f6f



Back
予定なし
  • (2014-9-17)


  • (2014-9-17)


  • (2014-8-17)


  • (2014-8-14)


  • (2014-8-14)