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三人の墓は別に
2012-09-19
朝、エディルネを出て三時間程でガリポリ半島が見えてきた。第一次大戦の激戦地である。半島全体につくられたこの戦闘の記念碑は五十を超えるという。

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オーストラリア、ニュージーランドの兵士達がオスマン・トルコ軍が待ち構える中上陸を敢行した入り江は、現在ANZACアンザック・コーブと名付けれ、たくさんの墓碑が並んでいる。

英国軍の一員として参加した彼らは入江から見える尾根を目指し、その後半年にわたって壮絶な塹壕戦にはまりこんでいった。これは「ノルマンディ上陸作戦」以前の、人類最大の上陸作戦だったのだそうだ。

あれから百年近く、今日も多くのオーストラリア、ニュージーランドの人々がやってくる。上陸作戦が開始された日・4月25日は両国でアンザックデイと呼ばれ戦没者追悼の日となっている。

アンザックANZAC兵(オーストラリア、ニュージーランド)とだけ呼ばれるが、彼らの中にはイギリスの植民地だった★インドから従軍した人もあった。当時のインドはまだパキスタン、バングラディッシュと分かれておらず、イスラム教徒たちも今よりたくさん住んでいた。

当時のオスマン・トルコはイスラム教徒にとって「地上における神の影」と言われるスルタンそしてイスラム権威のトップであるカリフが統治する国。
当時トルコ兵たちの突撃の掛け声は「アッラーは偉大なり!」だった。
インド人ムスリムのアッラー・ディッタ(下の写真の墓碑銘)は、自分の名前を叫びながら突撃してくる敵をどんな思いで見ていたのだろう。

この三つの墓はイスラム教徒でありながらトルコとの戦いに従軍した兵士の、宗教的アイデンティティ尊重して、ほかのキリスト教徒とは別の方向を向く墓に埋葬されている。

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ガリポリ半島は現代トルコにとって忘れられない激戦地。1915年の2月から翌年1月までガリポリ半島を確保してイスタンブールまで突入しようとする英国軍とオスマン帝国軍の戦い。下記などご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84



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