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「鸞」の字は継がれなかった
2012-02-09
龍谷ミュージアムで浄土真宗の歴代法主の系譜を見ていて不思議に思った事のひとつに、歴代法主が「如」の文字を継承している事があった。なぜ「親」なり「鸞」なりではなかったのだろう?

後継者に自分の名前の一字を使わせて、それが継承されていくのが多くの教団のスタイルである。なぜ、親鸞はそれをしなかったのだろう?

いや、調べてみると親鸞もまた息子には自分の一字を使わせていた。「善鸞」というのが彼の長男の名前である。

しかし、長男・善鸞を、親鸞が自分から義絶した事で、その後の継承者に「鸞」の字は使われなくなってしまっていたのだ。
※このあたりの細かい事情については各自検索してみてください。

八十才を超えた父の代わりに関東へ派遣された善鸞が、本当に関東の教団を私物化していたのかは分らない。直接本人に話しかける方法のない時代、「息子よお前はほんとうに…」と思ったことだろう。

しかし、最終的に親鸞は息子を義絶した。善鸞がその後どのようになったのかは分らない。教団内の資料からは彼についての記述は抹殺されているのだそうである。

親鸞の後、第二世法主はしかし、この善鸞の息子である如信となっている。義絶された父と違ってほんとうの親鸞の教えを受け継いだということなのか。親鸞はこの孫に、父のことをどのように語っていたのだろう。

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