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ゼウス神殿の雄姿
2011-04-23
夕方16:30発のエミレーツ航空でアテネを離れる今日。

**
朝いちばん、頭がすっきりして体力も充分なこのタイミングで何を見てもらうのが一番良いか? こんな晴れた日はこの写真のゼウス神殿が良いと判断した。

2007年にはじめて訪れて、その雄姿に驚嘆した。
アクロポリスを背景にした巨大な柱だけになってしまった神殿。言葉よりも直接心に刻まれる風景だと思う。

歴史的な解説も今朝は最低限に留めた。とにかく直接じっくり味わっていただこう。

★★ゼウス神殿に関する後付の知識〜現地のガイドブックより
この場所にはもともとイリソス川が流れており、その崖にアテネ最古のゼウス神域があったとされる。

伝承によると、プロメテウスの子デカリオンがゼウスの起こした人類を滅ぼす大洪水から救われた事に感謝して建立。※この神話は「ノアの箱舟」とそっくり。どちらが先?こちらが先か、やはり・・・。

紀元前515年にペイシストラトス(息子)により建設がはじまる。
この当時にはドーリア式の柱を持っていた。材料としてポロスの石を使っていた。7年後にペイシストラトスが失脚すると建設はストップ。

テミストクレスがペルシャ軍の来襲に備えた城壁を急いで造る為に、その石も利用されてしまった。

紀元前4世紀、大理石による新たな神殿の建築が開始。
しかし、その後も資金難などによって完成には至らず。

紀元前175年 シリア王アンティコス四世エピファネスにより、ローマ人建築家コッシュティウスに命じ、コリント式柱を持つ現在の神殿の建築がスタート。

しかし、その後も建築中断が何度もあり、
紀元後131年、ローマ皇帝ハドリアヌスにより落成式が行われる。

◎巨大な列柱
長辺110.35メートル、20本の柱が二列に並ぶ。
短編43.68メートル、8本の柱が三列に並ぶ。
内部にはゼウスと共にハドリアヌス帝も祭られていた。
104本の柱のうち16本は1852年まで残っていたが、その年の嵐で一本が崩落し、現在でも残骸をさらしている。

紀元後5世紀、崩落。
オスマン・トルコ時代には残った柱を使って南東コーナーがモスクに利用されていた。

***
この後行った「新・アクロポリス博物館」については、また別のところにて。
****
昼食をどこにするか?
ギリシャでの最後の食事、確実に「あそこなら絶対きにいってもらえる」と思う店があった。

空港へ三十分ほどの場所にあるので、ちょうど良い。場所も海を見渡す高台にあり、ガラス張りの窓からぐるりと水平線が見える。
まさに店の名前とおり「バルコニー」である。


料理の詳細は別の機会に。

16:40アテネ発
エミレーツ航空にてドバイへ✈



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