世界の写真」では
国別に小松の撮影した写真をお見せしています。

ツアコンモバイル通信」は
日本旅行HP内に掲載した
お話を国毎にまとめました。

手作りの旅》は
こま通信」企画の旅です。
こま通信のお問い合わせは
komatsusin2@gmail.com

までお願いします
ユーザ名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録


★ こま通信日記 ★


2011 年 1 月
      1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31      


Search
岩崎邸再訪
2011-01-10 成人の日
だいぶ以前に夜景を見に一度訪れて以来である。
この「こま通信」日記の「SARCH」検索をして、自分が前回行ったのは2005年1月だったことを知った。

昨年の大河ドラマ「龍馬伝」の影響で、この岩崎邸を訪れる人も増えたのだろう。11時からのガイドツアーには三人のガイドさんが待っていて、それぞれ15人程度を引率して見学する事になった。今日ご案内いただく方は、はじめのひと言目を聞いただけで「伝えたい事がある」気持ちがはっきり分かる語りをする人だった。マニュアルを読むような雰囲気はまったくない。
こういう時にどういうガイドさんに当たるかで、その場所の印象は大きく変わる。

「所要時間は45分程度です」という受付の人の言葉もなんのその、外観だけでも三十分ぐらいにはなった。敷地入り口に唯一残された重ね菱の家紋からはじまり、話が枝葉へつながっていく。話したいことがたくさんある人だ。

個人的にはそういう人の話をとことん聞きたい。毎日同じ話をしているから飽きちゃうというガイドさんもあろうが、そんな風な気持ちで話している言葉では聞き手の心は捉えられません。

この写真で建物を見下ろしている巨大なイチョウの木はたぶんこの敷地にある最も古い樹木だろう。鎌倉時代にさかのぼるという。東京都の名木に登録されていないのは、最近まで公開されていなかったからだそうだ。

洋館を建築したお雇い外国人、ジョサイア・コンドルはこの入り口や大階段からちょうどこのイチョウの木が美しく見えるように考えて建物を設計した。
つまり、通常この手のルネサンス建築では左右対称になる中心に入り口をつくるのだけれど、わざわざイチョウの木にあわせてずらしてある。
自然が提供しているものに人間があわせていくというのは、日本的な設計である。

別館として建てられた山荘風のビリヤードルーム。写真で右下に黒く見える建物。こちらは本館と地下でつながっている。覗いて見ると内部はまだ荒れ果てた様子。岩崎邸自体がやっと七年前に修復を終えて一般公開されたという事で、まだまだ手が回っていない場所はある。

この建物が造られた1896年(明治29年)、西洋では石造りと鉄筋コンクリートの建物が主流だったが、日本ではまだまだ木造の時代。この建物も石かコンクリート製に見える外観をしているが、すべて木造。ドーリア式の柱は樽を三つつなげて中に鉄の芯を入れるというやり方で造られているという。誰がそんな工夫を考えついたのだろう?叩いて音を調べてみたくなるけれど、もちろんそれは致しませぬ(笑)。

建物内部の各部屋それぞれの内装は豪華というよりもシンプル。ヨーロッパ風のヴィラを見慣れてしまっている目からすると、それほどの感銘はうけない。

それよりも第二次大戦後の財閥解体で岩崎家から進駐軍に接収されて以後の話のほうが興味深い。

マッカーサー配下のGHQ参謀第2部(G2)直轄の秘密諜報機関を指揮したジャック・キャノン(Jack Y. Canon)陸軍少佐が住んだ時には、一部の部屋の壁がなんとピンク色のペンキで塗られていた。
まったく、ハワイの海沿いのヴィラじゃあるまいし、どんな感覚でそんな色にしたのだろう。

現在苦労して復元された金唐紙の壁は、そのペンキの下に埋もれて残されていた一部から復刻したもので、この建物の修復でもっともお金と労力を必要とした箇所になるそうな。

GHQの後の使用者はいろいろで、宗教団体が占有していたこともあるとか。住む人々は自分の好きなように内装を変えたので、照明器具などは入り口を入ったところのものだけがオリジナルで残されているだけだ。

現在見えているものからかつての姿を思い描くのが難しいのは、なによりもこの岩崎邸の敷地そのものだろう。庭もそうだが、建物も現在残された三棟のほかに二十近い数の居住用日本式邸宅があった。

そう、何よりも日本式の邸宅が岩崎邸の本体であった。
有名なこの洋館はパーティーや客人用に建てられた建物であって、あくまでも居住するのは日本式の邸宅だったのである。

1965年(昭和40年)まで岩崎邸はその広大な日本邸宅を含めて残されていたのだけれど、現在は三分の一の敷地になり、周辺は官公庁や大学のコンクリートビルが迫ってきている。

〜別の日の日記にまた書きます。



Back
予定なし
  • (2014-9-17)


  • (2014-9-17)


  • (2014-8-17)


  • (2014-8-14)


  • (2014-8-14)