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知床から網走へ
2009-10-11
朝5時半頃、薄蒼い窓の外に雷の音がひびいて目が覚めた。
風の音もする。雲もとても低い。
昨夜「明日朝六時からオロンコ岩に登りましょうか」と言っていたが、出発したのは四人だけだった。
港から堤防に出るとびゅうびゅうと猛烈な風が海から吹いてくる。
海上には雲の切れ間に気まぐれな青空も見えたが、今は岩山の上になどとても登りたくない、いや、登れない天気だった。

08時発の知床観光船は当然キャンセルになった。
かわりに知床五湖へ行くことにした。
雨だったがその林もまた美しい。知床連山は雲に隠れて全く見えないが、きのうあれだけ美しい初雪の姿を見た我々なのでなんにも文句はない。
鹿が角の痒くなった角の根元をこすりつけた樹。
熊の三本指の爪跡、本物は見たいようなコワいような。

9時半には知床五湖を出発。
知床道の駅で売っているクリームアイスどら焼きが意外においしかった。

網走にあるペンション「ワニの家」を目指す。
北海道の食材を使ったこだわりのイタリアンをつくっている須藤さんご夫妻である。
ほんとうにご夫妻だけで料理しサービスもしている。
これだけ大きなグループ(といっても我々14名だったのだが)は受けたことがなかったのだそうだが、特にお願いできた。
良心的に料理をつくるというのは、つまり自分の身の丈にあったスケールを守ることなのだろう。

タラバガニを贅沢につかった生フェテチーネがおいしかった。
今度はちゃんとメインコースまでいただきたい。

13時半、北方民族資料館到着。
すぐ近くには有名な流氷館や網走刑務所があるがそれは一般ツアーに任せておこう。
ここは北海道についての展示というよりも、地球規模で北半球北極圏近くに暮らす民族の事をひろく扱っている。

収集物を地域ごとにではなくテーマごとに展示する方式で、衣類、住居、宗教・・という具合になっている。今回は「食の源流をさぐる旅」なので、食の展示を解説してもらうことになっている。

学芸員さん説明は特に説得力があった。
同じ説明をするにも裏づける知識がしっかりしていることが言葉の端々、質問への回答にも感じられる。※通常の説明の方も充分上手でしたが。

「千島列島に生きる〜アイヌと日露・交流の記憶」という特別展示をやっていたのでそちらも見ることにする。

思いがけず見つけたのはアダム・ラクスマンが日本へ持ってきていた、ロシア側から見た日本の地図のうつし⇒写真の下の部分。
「エゾ」がとても小さく千島列島は大きい。
自分たちに近く手情報量の多いところが大きく感じられるということなのだろう。

さらに、ここで「エゾ」と書かれている島は形からみてどうも樺太=サハリンに見える。 しかし、左上の小さめの島に「サハリン」と書かれている。たぶん混同している。

この地図に比べると同じ18世紀後半に最上徳内が測量して造った地図はしっかり北海道からサハリン、千島列島の姿を把握しているのが分かる。伊能忠敬の地図以前としては、最上徳内のものが最もよく出来た蝦夷地図だっただろう。




15時半、鶴雅リゾート北天の丘へ到着。
夕食前にゆっくり温泉を楽しむ時間が必要だ。
18時15分から夕食。
バラエティにとんだバッフェである。

20時半、「語り部」として弦巻先生という方に来ていただく。
アイヌとは違う先住民ウィルタの権利を守る団体を運営している方である。
※ウィルタ協会HP
http://www.d2.dion.ne.jp/~bunkt/

樺太に住んでいたウィルタ族は、アイヌ民族からはオロッコと蔑称で呼ばれていた。独自の言語・生活習慣を持って暮らしていたが、日本とロシアの間で明治以降どんどん居場所を無くしていった。
日露戦争後のポーツマス条約で、北緯50度線をもって樺太=サハリンは国境線が引かれてしまう。つまり彼ら民族の居住地域を分断したということだ。

さらに日本の敗戦後に北海道に強制移住させられたウィルタ族の人々は、もう最後の二人しか残っていないのだそうだ。

正直、アイヌ以外の北方先住民については知らなかったので、興味深く話を聞いた。



少数民族というのは世界中に存在する。
彼らの状況はさまざまだが、多くは現在の帰属する国に充分順応して生活している(様に見える)。

それでもなお少数民族の文化や言語を尊重する事に、どれだけの意味があるのか?そう考える人もあるだろう。

マイノリティを黙殺しないという姿勢は、多数決で多くが決められてしまう「民主主義」の横行する世界において、実はとても重要な本来の「民主主義」的姿勢なのである。



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