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かつらのないハイドン
2009-05-07
午前、ウィーンから南東へ、ハンガリー国境に近いアイゼンシュタッドの町へ。ここにはハイドンが三十年仕えたエステルハージ家の宮殿がそのまま残されている。

今年はハイドン没後二百年ということで、いつもにもまして世界中から音楽ファンがやってくる。町もそれに応えて展示を充実させていた。

先ずは墓のあるベルグ教会へ。
ここは教会自体がかなり面白いつくりであった。
※また別に書きます。

エステルハージ宮殿はバスで移動すれば一分で到着。十八世紀からの宮殿は、内部にもっと古い時代の建物を内包するかたちで造られたという。見学の最後に今でも演奏会の行われるホールがあり、そこが一番当時の雰囲気をとどめていると感じた。

ハイドンが暮らした家はその城下町の一角にある。
がらんとした室内で、当時の家具の再現はあまりない。
いくつかの曲を実際に聴くことが出来る。

旧市街で昼食を終え、バスで45分ほど移動してハイドンの生家のあるローラウ村に着く。先ほどまでのハンガリー国境ブルゲンラント州から、ここはニーダーエステライヒ州となる。

村へ入っていくと先ず目につくのが堀割のある古い城館。ハイドンの両親はここに住む土地の貴族ハルラッハ家に仕えていた車大工と料理女であった。

たくさんの兄弟の中でも目だって利発であったらしく、叔父のひきからウィーンの少年合唱団へ参加。皇帝から名前をたずねられ事もあったそうな。

**
この生家に展示してあったいくつもの肖像銅版画の中で、あの時代の宮廷人につきものだった「くるん」としたかつらをかぶっていない素顔がめずらしい。

人の印象というのが「髪の毛」によって大きく左右されるのが良くわかった。自分のがなくなったら・・・どうしましょうかねぇ(笑)。



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