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ルクソール博物館のラムセス一世?
2009-01-20
午前、ルクソール東岸の二つの神殿をゆっくり見学。
船の出港が午後7時となったので、お昼寝のあと16時からルクソール博物館を見学しにいく。

ルクソール博物館には初めて入った。
エジプトに何回となく来ているけれど、ここはいつもバスから横目で見て通るだけだった。

何があるのか詳しく知らないで入ったのだけれど、結果的にすばらしいコレクションを堪能する事ができた。

見もののひとつは、ナイアガラから2003年に大西洋を越えて帰国したミイラである。これは以前エジプト航空の機内誌に書かれていたことがあったので頭の片隅でずっと覚えていたものだ。
「ここにあったのかぁ!」

※以下はナショナル・ジオグラフィック誌の記述を資料に分かりやすく書きました。

**
そのミイラはナイアガラにあった。珍奇なものを集めた「トリッキー博物館」にFreak of Nature (=自然の珍奇)の一展示品として置かれていた。ナイアガラの滝を見物しに来る観光客相手に「五本足の豚」や「二つ頭の牛」と一緒に、いわばただの「珍物」として公開されていたのである。

1999年にここが閉館する時、アトランタのカルロス個人美術館がこれらエジプトコレクションを二百万ドルで購入。実は1980年代にこのミイラを見かけたドイツのエジプト学者が「これは重要なミイラに違いない」と言い出し、エジプト学の世界では話題になっていたのだ。

アトランタに運ばれたミイラは様々な角度から検査をされ、炭素年代測定で三千数百年のものと出た。エジプト考古庁のザヒ博士(最近日本のテレビでもお馴染み)は、ひと目見て「三十分前にみただけだが、これは王族のものに間違いない」と断言。ミイラと言っても王族のものは腕を胸の前でクロスする独特のポーズをして、製作も一般のミイラとは格段に違う材料と手間をかけているので、専門家ならばひと目でわかるのである。

さらにX検査で頭蓋骨を比較すると、これがカイロ博物館にすでにあるあの偉大なるラムセス二世とその父セティ一世のものと酷似している事が判明した。ラムセス一世は波乱の18王朝下の将軍で、新たな19王朝の初代王として記録されている人である。

19世紀後半、まだ墓泥棒の時代にエジプトを旅したカナダ人ジェームス・ダグラスが、英国通貨7ポンドで購入した盗掘物の中にこのミイラはあった。この時代にはたくさんのものが同様にエジプト国外に持ち出されている。

エジプト政府は近年こういったものを返還するように求めている。時には相手国のエジプトでの発掘権を盾にして交渉したりもする。

そういう事情を知って、カルロス美術館はなんと自発的にエジプトへの返還を申し出たのである。

2003年春、アトランタでは大規模なエジプト展が行なわれ、4月25日にはこのミイラの返還式典が行なわれた。その日はアトランタでは珍しいほどの雷雨が会場を襲い、関係者は「ラムセスが故国への帰還を喜んでいるのだ」と噂した。

帰還したミイラをエジプトは国賓並に迎えてルクソールへ移送した。

***
今日ルクソール博物館に入ると、まずはこんな経緯説明を含んだビデオを見せられ見学にはいる。問題のミイラは「ロイヤル・マミー」とだけ表示されて展示されていた。

どれだけ骨格が似ていても、時代測定がラムセス一世の時代を示していても、名前を書いたもののひとつでも見つからない限り断定は出来ない。「それが科学的」ということなのだろう。博物館で購入した簡単な解説本には、このミイラのことは一言も触れられていなかった。

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