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カーネギーホールにも危機があった
2008-12-29
達郎さんが大阪フェスティバルホールとの比喩に使っていたニューヨークのカーネギーホールについて、興味がわいたので調べてみた。

鉄鋼王と呼ばれたアンドリュー・カーネギーが1891年に建設したそのホールは座席数約3700。(フェスティバルホールは2700席)

52歳のカーネギーが30歳の新婦を連れて、生まれ故郷のスコットランドへ行くために乗っていた船で若い指揮者に出会ったことから発案された。
※その若手指揮者Walter Damroschが学びに行った師匠は、ワーグナーの弟子で自分の妻をワーグナーに寝取られたハンス・フォン・ビューローであった!こんなところでこんな名前に出会うとはね、へぇえ。

このホールはフェスティバルホールと同じように解体の危機が一度あった。カーネギー婦人から譲り受けた不動産業者は所有する条件として「変更しない」事を受け入れたのだが、その不動産業者自身が死去した後、その息子からマネージメントは転売されてゆく。

某所有者の時ついに、NYフィルがリンカーンセンターを本拠地にする事に決り、これ機にカーネギーホール建て直し計画が持ち上がったのである。

すばらしいホールというのはその歴史と共に再現する事ができない。いくらお金をかけたホールを建設しても、それは決して良い音響を約束してはくれない。

この危機を救ったのがバイオリニストのアイザック・スターンらの活動。彼の労を惜しまぬ運動によりNY市自身がその運営にあたることになり、改築をまぬがれたのだった。

・・・今の大阪にはとっても出来ない事でありましょうが・・・。


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