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NEW-TIMEとは
2007-09-23 秋分の日
まずは前日のイントロをすこし。


実はきのう夕方アテネに戻る途中に事故渋滞に巻き込まれた。2時間以上もまったく車が前に進まない状態で高速道路にはまり込んでいたのだ。

今朝のニュースで見ると時速200キロ以上で高速を逆行した車が正面衝突して8人が死亡した事故だったという。

アテネのホテルに着く予定時間は18時⇒20時15分となってしまった。疲れてはいたがそれから夕食に出る。アテネ郊外のまるでカリフォルニアの高級レストランのような場所で、テラスの席ではすぐちかくまで波が寄せてきていた。
最後の夜だという事でゆっくり、しっかり食べて飲む。

内容を細かく書き記していくスペースもないが、間違いなく「ギリシャ料理はおいしい」と確信できる料理ばかりであった。やっぱり食事だけはどんな高級ツアーでも日本からの手配では限界ありますな。

ホテルに戻ったのは日付が変わる少し前。
おいしい食事を食べる為には健康と体力が不可欠である。

**
というわけで、今朝の出発は少し遅くした。
朝食は最上階のレストランでゼウス神殿を見下ろしながら。最高級なホテルではないが、確かにお勧めできる場所である。ここからは朝日に輝くパルテノン神殿も美しい。

ホテルを出発してすぐにさっき見下ろしていたゼウス神殿へ入場する。ここも通常の「市内観光」では入らない。つまり私もここ二十年なんどとなくアテネに来ていたのに始めて入ったのである。

入ってびっくり!すばらしい。
(これについては別の機会に)


アテネを出てマラトンに向かった。
そう、あのマラソンの起源となった場所である。

紀元前490年、圧倒的多数のペルシャ軍がアテネの北40キロのマラトンまで迫った。ここを破られればアテネは陥落する。

少数のアテネ軍と友軍であったが、頭脳的布陣で勝利。ペルシャ軍来襲の恐怖に固唾を呑んでいたアテネ市民に勝利を告げる為フィディッピデスという兵士が休みなく走り続け、「我勝てり」と告げて死んでいったという話。

※フィディッピデス(よく本に書かれている「フィリッピデス」ではなくこちらの名前が正しいそうである)についてもいろいろ話を伺いましたが・・・ああ、これもまたの機会に。

マラトンの古戦場は、今それを偲ぶ事のできるものはただひとつの土饅頭だけである。アテネ戦死者を埋葬したものだというが、これとても今みているものは後世に何度も再建されたもの。なんせ二千五百年前の事で、周囲には川も流れている場所なのだ。

オリーブ林のこの場所へも入るのには入場券が要る。後の博物館と共通になっているのである。戦闘の様子を示した立体地図でストーリを少し話してもらい、早々に博物館に移動。しかし、博物館にもマラトンの戦いに関係した展示はほとんどなかった。

★それでも一体、たいへん印象的な女神像を発見。これを見られただけでマラトンまで行った価値はあった。

海岸沿いにスニオン岬に向かって南下する。
ほんとうはヴラヴローナの遺跡を見学したかったのだが、現在博物館はクローズしているということで、今回は断念した。

マラトンから30分ほどのところで海辺の崖の上にある「バルコニー」というレストランにて昼食。たいへん風が強いが、白波のたつ海の色が実に美しい。

ここでの印象的な逸品はウゾーで味付けをしたタコ料理。
写真はまたの機会に。

昼食後スニオン岬まで一時間半。
海神ポセイドンに捧げられた神殿はアテネのパルテノンとほぼ同時期に作られたものだが、構造は少々違う。

スニオン岬はアテネのある湾に入っていく入口の半島にある。
その先端に建てられた灯台の役目もしていたという。青い青い海。強い風の吹きつける神殿。この神殿の価値は何よりもこの場所にある事を身をもって感じる。

多くの神殿はその場所そのものに価値がある。どんなに素晴らしい写真でも、どんなにバーチャルトラベルが発達しても、またどれだけ事前に情報を得ていても、自分の足で踏んでみて始めて感じる事が出来るものがある。

※逆にどんなに何度も来ていても感じ取れない場合もある。今回これまで何度も来ていても、たくさん気づかなかったものがあったと知った。いろいろな経験を経て、知識も入れてから再訪する事によって、はじめて感じとれたものも多数あった。

***
さて、今日はそのまま日本へ帰国の日。
アテネの空港に着いたのはフライトの2時間45分前だった。
ローマ経由でJALに乗り継ぐ予定。アリタリア航空のカウンターもそろそろ開いているので、行列にならんだ。

ミラノ行きとローマ行きの便があるようだ。
が、ふと見るとローマ便のところに「NEW-TIME」と表示されて、そしてその後に「21:00」となっている。これはいったい?

私達のスケジュールでは19:40発のアリタリアに乗り、ローマ発21:45のJAL便に乗り継ぐ事になっている。遅れたら日本に帰れない。

「NEW-TIME」とは、早い話が大幅遅延である。
それならそうと「DELEY」と表示すべきなのに。
まぁなんと「新しい出発時間」なんだそうです(笑)。

笑ってなどいられない。
すぐに他のローマへの便を探す。
オリンピック航空が17:30にあるのが分かる。
すぐにカウンターに並ぶが現在17:00。
「もう締め切りです」と断られる。

アリタリアのカウンターから今度はエーゲ航空の18:15の便をあたってもらう。これはしかし満席ウェイティング!

アリタリアの職員は「もし乗れなかったらここへ戻ってきてね」といいながらのんびり振り替え手続をした航空券を渡してくれる。

これを持ってエーゲ航空のカウンターへ突撃。
チェックイン行列もすっとばさせていただき、アリタリア職員に指定されたカウンターにて手続をする。

スーツケースは「STAND=BY」の札を付けられて流れていった。なんとかそのまま日本まで行きますように。

セキュリティを抜けてゲートに向かう。
途中友人に会うが「緊急なんでまたね」とかわす。
ゲートで係員と対面。
「あと15分ほど待って」との事。
ここで運命が決まる。

これに乗れなかったら、ローマ発21:45の便に乗り継げるフライトはない。別の乗り継ぎで日本へたどり着くフライトを探す事になるのだが、連休の最終日に日本に入るフライトはほぼ満席状態がだろうから、かなりキビシイ。

実際こういうケースに南回りで20時間を費やしてシンガポール経由帰国になった場合もあるのだ。思い出したが、なんとアメリカ経由でシカゴ一泊になった事も私自身あった。
ああ、そうはなりませんように!

エーゲ航空への搭乗が始まる。
ほかにも何人かウエィティングしている人がある。
これもアリタリア航空からまわってきたのだろう。
先に二人が呼ばれ、そして、ついに!我々の番がまわってきた。無事にローマにたどり着けそうだ。

時刻は18:00。
19:40発のフライトに乗る人は、今頃たくさんカウンターの前で「NEW-TIME」に当惑させられている事だろう。さっきはのんびりしていたアリタリアの職員もいまごろはてんてこ舞いか?トンズラか?。

いずれにしても早めに空港についておく事の重要性、よっく理解した本日でした。



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