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こんなところにもノーベル
2007-06-11
午後からドロットニングホルム宮殿を観光し空港へ。18時40分の飛行機に乗り一時間時差のあるヘルシンキに20時35分到着。古くからの友人がおにぎりをもってホテルに来てくれた。来年1月の《手造》「砕氷船とオーロラ」をどんな風にするか相談。気がつけば23時半になっていたが、まだ空はうす青く太陽の光の名残があった。
**

世界で最も有名なスエーデン人は間違いなくノーベルだろう。
ストックホルム市庁舎内にある木製のヒーターカバーにもこんな小さなノーベルが刻まれている。フラスコを持っている姿が研究者らしい。

ダイナマイトの発明者、ニトログリセリンといういつ爆発するかもわからない不安定で扱いにくい物質を、扱いやすい棒状に加工することに成功した。が、まだまだ爆発物を扱う方法は確立されていなかったのだろう、彼の工場のうちいくつかは何度か爆発を起して、その事故で弟を亡くしたりしている。

19世紀後半から20世紀にかけてヨーロッパが再開発されていった時期にトンネル工事をはじめその爆発物は必要不可欠なものになり、彼は莫大な財産を築いた。兄二人はアルメニアの油田開発にも携わり、同じく財を成した。

しかし、それで彼が愛を買えたわけではないらしい。
思いを寄せて秘書に雇っていた女性は、あっというまに結婚退職。ウィーンで出会った若いソフィーをパリに連れて行って教育しようとしたけれど光源氏のようには上手くいかず、彼の死後彼女はノーベルの送ったラブレターをネタに遺産執行人から金銭をせしめるような奴になってしまった。

ノーベルは子どもの頃から欧州各国で育ち、優秀な教授から教育を受け、5ヶ国語を操り、生涯に300以上の特許を得、たくさんの会社を設立しそれを成功させ、億万長者になった。生きているうちから充分な地位と名声と財産を手に入れたということだ。

これらはしかし、人の幸せと「=」イコールにはならないということだろう。



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