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アマルフィの奥座敷ラヴェッロ
2007-03-27
朝、今日も晴れているカプリをあとにして船でソレントへ渡る。ソレントも見所はあるけれど、今日はアマルフィへ直行。

アマルフィではフランチェスコ会の修道院だった有名なルナ・コンベントへ泊まる。12時にはホテルに着いて荷物を置き、すぐに街へ歩きに出た。この街は歩いてみなくてはその価値がわからない。山の間の本当に狭い土地にぎっしりと家や教会、修道院が建てられていた。今のメインストリートは中世に川が流れていたところ。そこに蓋をして大通りにしてあるのだ。

アラブのモスクのような、大聖堂の回廊を見たら休憩。もっとがんばれる面々で、パッケージでは行きたくても行けない「アマルフィの奥座敷」※小松が勝手に命名(笑)ラヴェッロの町へ行く事にした。

路線バスを利用する。14時半の次の15時半予定だったバスは15時45分頃やってきた。山をうねうねよぎっていく細い道をバスは上がっていく。途中にも小さな町がけっこうある。スカラという街には大きな教会がある。その入口に騎士の描かれたプレートがあったので、現地ガイドに尋ねてみた。「あれは十字軍の騎士団創設者がスカラの町出身だった事を記念しているのよ」と教えてくれた。へぇ、私は彼はてっきりアマルフィの出身だとばかり思っていた。

ラヴェッロは山と山とのあいだに、細長くテーブルのように盛り上がった小山の上にある。細長く家並みや教会が寄り添いあっている。その姿が遠目に見えてくる。

駐車場からトンネルを抜けるとすぐ左に中世の塔が四角い姿を残している。これがルフォロ荘。今日はここに絞って訪問することにしている。実はラヴェッロにはもうひとつ奥にチンブローネ荘というまた素晴らしい庭園があるのだが、それはまたの機会があればと言う事にする。欲張るとたいてい時間がなくてつまらないことになる。

ルフォロ荘はアマルフィ貴族が建てさせた中世のヴィラだが、今我々が目にするものは19世紀に所有していたスコットランド人の趣味により再構成されたものである。

19世紀には英国貴族達が「グランド・ツアー」と称してイタリアへ長期間滞在していた。ヨーロッパの原点であるローマを学びにくるのだ。ローマへ行ったことがある事を、社交クラブの入会条件にしていたところまであるくらいだ。

だから彼らは歴史や文化に敬意を払い、上手に再構築している。それがたとえ学術的に正しくはなくても、美しく造る事を目的として造られている。

私は「美しく」再構築することこそが大切だと思う。学術的や歴史的にどれだけ正しくとも、美しくなければ価値は半減である。「美しく」構成するという精神を受け継いでいない事は失敗なのではないだろうか。

そう考えると、このルフォロ荘はよくできている。特にこの写真の庭へ出て行く時、高揚感は最高に高まっていく。なんとも形容しがたい。天国からの景色のようである。

夏にはこのテラスから張り出すように大きな舞台が造られ、コンサートが開かれているのだそうだ。いつか、ゆっくり来たい所です。



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