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「2000トンの雨」一曲への二十年の想い
2007-01-11
昨年夜中にテレビで放映されていたので録画していた映画を見た。「恋愛写真」という、堤幸彦監督の作品である。
http://www.shochiku.co.jp/video/v00s/sa9352.html
なぜ私がこの作品を見たいと思ったのか。ヒロスエとかマツダが好きだとかではない(笑)。そのエンディングに山下達郎のむか〜しの作品「2000トンの雨」が使われていると聞いていたからだ。


「2000トンの雨」の入ったレコードは私も発売当時買った。大学に入る前の年だっただろうか。堤氏は私より6歳上ということだから、20代前半だっただろう。曲を作った達郎氏も堤氏とほとんど同じ世代である。今では大御所の達郎氏もまだまだ不遇の時代で、この曲を録音し完成した後スタジオで最後にこの曲がフェード・アウトしていくのを聞きながら「もうこれでレコードは作れないかもしれない」と思っていたのだそうだ。

同じ頃、堤氏はまだ自分が何の映画を撮れる立場にもなかった。監督になれるのかも分からない、海のものとも山のものともつかない時代であった。若く、何の実績もなく、当然認められてもいなかった時代に自分の中で流れていた音楽。「いつかこの曲を自分の作品の中で使いたい」と二十年以上思い続けていたのだそうだ。


二十年の時を経て、堤幸彦は自分のおもうような作品を作ることができるようになっていた。そして、ずっと覚えていたこの曲をエンディングに使える映画を撮ることが出来る機会がやってきた。そして、誰も通さずに達郎氏直接連絡した。

すでに大御所になっていた達郎氏も、自分が苦しかった時代に作った曲がそんな風に復活する機会がやってくるなんて、思ってもいなかった。そして、自分と同じく苦しい時代を生きていた人がそんな風に自分の一曲を想いつつけていた事をとても嬉しく思った。そして、映画の為に新たに録音しなおすことさえしたのだった。


2003年のコンサートの時、私は達郎氏がステージでこの話をするのを聞いていた。そして、「今日は堤監督がこの会場にきておられます」と達郎氏がいうと、さっとスポットライトが二階席の一番前を照らした。なにげないヒゲ面の元青年がはにかんでそこにいた。


映画自体はそこそこ面白く見たが、感涙に咽ぶとか、一生の宝にしたいとか、生き方を変えるとか、そんな風には見えなかった。ただ、最後にどのように「2000トンの雨」が使われるのかが見たかっただけだから。

100分ほどの後、ついにそのシーンがやってきた。
おどろいたのは、もともと曲として録音されていた音源の他に、この映画のためだけの録音がけっこう長くあった事。

堤氏「この曲好きだったので、映画に使っていいですか」
達郎氏「ああ、いいよ」というだけではなかったんだ。達郎氏もまた、正面からこの映画のシーン造りに関わっていた事がよく伝わってきた。

曲が流れ出す前に流されるア・カペラ、曲の入るタイミング、最後に付け足されたピアノの弾き語りの部分。映像とこの音楽とのからみは、この映画の他のどのシーンよりも濃厚だった。たくさんのNYCの風景をバックに、二十年以上も前に作られた別にヒットしたわけでもない一曲が、新たに命を与えられた瞬間だった。

モノを作り出す人にとって最大の喜びは、それをどこかで長く大事にしている人がいることを知る事なのかもしれない。カタチに見えるものであっても、そうではない「旅」のようなものでも、そんな大切なモノを作り出すことにかわりはない。

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