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サン・マルコ修道院
2006-10-26
フィレンツェのホテルは大聖堂と駅とのちょうど中間。すべてが徒歩でいける立地を選んだ。朝8時半に出発しサン・マルコ修道院の前でガイドのNさんと待ち合わせ。

ここはフラ・アンジェリコの有名なフレスコ画「受胎告知」があるので有名。これが為にここを訪れる人も多いと思われる。事実私もはじめての時はその作品ばかり探していた気がする。

今回はじめてしっかりした日本語ガイドさんに案内してもらい、いろいろなことがすっきりとのみ込めた。個人旅行で自分でまわっているだけでは、こういう理解はまず難しいだろう。

サン・マルコ修道院がドメニコ派のものであり、15世紀末のフィレンツェを四年にわたる宗教政治で牛耳ったサボナローラがここの院長だった事は知っていた。

しかし、この僧院はもともとドメニコ派のものではなかったと今日知った。もとはシルベストロ派という今は消滅してしまった修派の土地だったのだが、1200年代に勢力をのばしてきたドメニコ派がフィレンツェに拠点を持てるようにネゴしたという。

現在の修道院は老コシモの肝いりで、当時一流の建築家ミケロッツォに依頼して建築されたものだ。フレスコ画もまたフィエーゾレの僧侶フラ・ジョバンニに依頼した。彼は後に福者(ベアート)の称号を得て、「天使のような」とあだ名される事になる。
フラ・アンジェリコである。

メディチ家は彼らファミリーの守護聖人であるコスマとダミアーノの姿を描く事を頻繁に求めた。この聖人は病人を治すご利益があり、メディチがもともと薬売りだったと考えると納得できる。

サン・マルコ修道院のはなしもきりがなくなるのでこの辺で。
***

10時45分の予約でウフィツィ美術館へ入場。
今日はお店の指定もなければ(パッケージツアーの多くは「行かなくてはいけない契約店」というのが必ずあるのです)、昼食も入れていないので、Nさんにも好きなだけお話していただける。
実に得難い機会であった。

たくさん新しい発見をさせてもらったが、あえてひとつだけ紹介する。

ミケランジェロが描き、唯一ミケランジェロ製作の円形の額に入れられた絵画「トンド・ドーニ」は、通常どのガイドブックを見てもドーニ家の婚礼の為に製作されたとされている。

しかし、最新の研究結果によると、どうやらこれは制作年代が2年ほど違う事がわかってきた。それは、画中に描かれた群像のひとつがあの「ラオコーン」からのデッサンをもとにしているらしいと判明したからだ。

「ラオコーン」は1506年にローマのコロッセオの近く、ネロ帝の黄金宮殿跡から発見されたものだ。つまりこの絵がそれ以前に描かれた事はありえない。1504年のドーニ家の結婚にこの絵が贈られた可能性はないのだ。

それでもこの作品にはドーニ家の家紋が彫り込まれている。プレゼントだったのは確実だ。何故この絵がドーニ家に贈られたのか?

正解は、二年後その新婚カップルに子供が生まれたのを祝う為だと推測されれる。

そして結婚祝いに贈られた絵画はピッティ宮殿にあるラファエロの聖母子だろうという事である。

なぁ〜〜〜るほどね〜〜。

***
昼食はウフィツィ宮殿の屋上のカフェにした。天気が良くて気持ちよい。おいしい夕食の為にごく軽くしておく。
夕食は川向こうのお店で。今夜は本格的ビステッカ・フィオレンティーナの予定である。

これはキアラ牛をつかい、最低でも800グラム以上の塊で焼く事が求められている。(別にひとりで800グラム食べなくてもよいです(笑))。



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