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洗礼盤はハドリアヌス帝の棺蓋?
2006-10-23
バチカン半日観光である。しかし、よくあるオプションツアーと内容は同じではない。ほんとうに半日しっかりかけて、バチカン美術館とサン・ピエトロ大聖堂を見学するのだ。

今日は月曜日。混在が予想されるので、開館の30分前には少なくとも着いていたい。TAXIでバチカンの前についたのは8時15分すぎ。行列は150メートルほどで、坂の下まで達していた。

現在バチカン美術館は予約制をとっていない。グループ対象に8時半過ぎに優先入場をさせてくれる枠はあるが、この時間に入ってしまうとピナコテク(絵画館)や彫刻の中庭はまだ開いていない。
これでは「しっかり見学する」を目的とする《手造りの旅》にそぐわない内容となってしまう。システィーナ礼拝堂だけを目当てにして行くわけではないのだ。ちゃんと見たければ、どうしても行列するしかない。

9時。実際に入場の始まるころに、行列はなんとサン・ピエトロ大聖堂の方まで行列がのびてしまっていた。※その後、内部見学をはじめて1時間半ほどしたときにふと外を見ると、行列はさらに長さを増していて、開館時間の短い冬季ならもう入場は難しくなるほどの長さとなっていた。なんせ昼の1時45分には閉まるんだから。

我々は9時15分ごろ、入場手続を終えて、エスカレーターで上階へ。まずはピナコテク(絵画館)を見学する。

あんなに行列していたのに絵画館はとてもすいている。時間に限りのある一般グループはほとんどこちらへ入ってこないからだ。有名な作品がないわけではない。ラファエロの絶筆である「キリストの変容」や、カラバッジョの「キリストの埋葬」など、超有名作品がある。しかしグループには時間がない。

急いで(といっても30分はかけたが)ピナコテクを見学し、有名な「松ぼっくりの中庭」に出る。ここには古代に噴水として作られた巨大な青銅の松ぼっくりがおかれているのでそう呼ばれる。

青空の下の大きな中庭。サン・ピエトロのクーポラに登っている人が蟻のように見える。。
この中庭にはシスティーナ礼拝堂のフレスコ画のパネルが何十セットも置かれている。それは「事前にここで説明しておいてね」というバチカン側からの意志である。部屋の中ではガイドといえども説明してはいけない事になっているのだ。
Nさんの説明にしっかり耳を傾けてからようやく動き出す。

次の彫刻の中庭にはベルニーニにも多大な影響を与えた「ベルベデーレのアポロ」や「ラオコーン」がある。こちらも、通常のグループ半日観光ではほとんど来なくなってしまった。

ピオ・クレメンティーナのすばらしい彫刻群やエジプトコレクションも見たいのだが、これは横目で見ていく。※ここいらは何回行ってもゆっくり見る時間がな〜い!

フラ・アンジェリコの装飾した小さな礼拝堂のある部屋を抜け、ラファエロの弟子ジュリオ・ロマーノが描いたコオンスタンチヌス帝の部屋へ。そこからラファエロの「アテネの殿堂」などのフレスコで飾られた部屋へ。

ここまでですでに2時間半近い時間がたっているが、やっとこれから「システィーナ礼拝堂」の天井画へアクセスする階段へむかうのだ。ボルジアの間はもうひとつ下の階にあるのだが今回そこまでは時間がない。

システィーナ礼拝堂は満員御礼。
昨今いつでもこんな感じになってきている。こんなんでほんとに伝わってくるものがあるのだろうか?と少々懐疑的な小松である。

この部屋からサン・ピエトロ大聖堂へ抜け道を通っていく。

大聖堂に入ったのはもう12時半をすぎていただろう。Nさんの素晴らしい説明の中で、小松が今回特に印象に残ったのが、入ってすぐ左手の洗礼堂にあるこの洗礼盤。

この受け皿に使われている赤い石は、きくところによるとハドリアヌス帝のお棺の蓋だったのだそうだ。「30へぇ〜」ぐらい差し上げたいです。

聖堂の見学を終えて15分少し歩き、今日も意図的におそい昼食となった。時刻はすでに15時近くとなっておりました。
***
遅い昼食を終えてから、公共バスでベネチア広場まで行く。
ミケランジェロが設計した階段を登りカンピドリオの丘に到達。この広場の地面の文様も彼のデザイン。イタリア発行の50セントコインにはこの文様がある。

ここは古代ローマの中心となる神殿が立てられていた丘。凱旋将軍もここにむかって行進して来た。罪人の処刑はこの丘の上から突き落とすというのもあった。

ミケランジェロのとは逆の市庁舎裏に出ると、「これぞローマ」と誰もが感じるだろうフォロ・ロマーノの風景が姿を現す。19世紀半ばまでは半分以上が土砂に埋もれ、たくさんの家が遺跡の上に建てられていたが、それでも古代ローマの栄華はひしひしと伝わってきただろう。ローマに来てこの場所からの眺めを逃したくはない。

ヴィア・サクラ=聖なる道、を降りて古代の地面に到達する。
元老院とされている建物は、19世紀までは教会として使われていた。だからこそこんなしっかりしたレンガの建物なのだ。

セプティミス・セヴェルス帝の凱旋門。カエサルが火葬されたとされる場所。アントニヌス帝とファウスティーナの神殿、など、その由来を知ればいくらでも見所が満載である。

しかし、古代の廃墟ばかりだとちょっと疲れてしまうので、今回小松はコスマ・エ・ダミアーノ教会を見てもらうことにした。古代の神殿の建物を利用して建てられた教会である。

ファサードをくぐるとすぐに古代の石積みの壁がある。さらに進んで中庭を通り教会のドアを押すと、後陣上方に燦然と輝くモザイクに驚かされる。なんと6世紀から7世紀という古い時代のモザイクである。16世紀のフレスコよりも美しく、ビザンチンの輝きを現代に留めている。

ここなどは日本のガイドブックでは全く無視されている事がほとんどだけれど、充分に一見の価値がある場所だ。

そのままムッソリーニが遺跡の上にとおしたフォーリ・インペリアリ通りを歩くとコロッセオに到着。ちょうど夕陽に照らされてあかく見えていた。

そこからホテルまではそんなに遠くない。ホテルの目の前の階段を上ると、今日最後の見学地、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会。ここにはペテロをつないだヴィンコリ=鎖があるのでそう呼ばれる。有名な美術作品はミケランジェロ作のモーゼ像。

彼がこの作品の膝を杖で叩いて「動け!」と言ったというのは、有名なエピソードであろう。




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