
8/22の昼には、大阪堺市の仁徳天皇陵を見に行った。
堺市というと戦国時代の自由都市だった歴史が有名だが、室町時代後期に城壁で囲まれていた地区は、古代には海だった場所である。そこから5�劼睥イ譴討い覆じ殿紊�ら地面だった場所に仁徳天皇陵がある。
堺市歴史博物館の展示を見て認識したのだが、つまり、この世界最大(ともいわれる)巨大な墓は、もともと海からも見える場所に建設されていたのだ。高さは35メートルもあるのだから、今のような建物がない時代には聳えていたと言えるだろう。
日本史上で「古墳時代」と呼ばれるのは弥生の終わりごろからはじまり飛鳥時代の前まで。3世紀から6世紀にあたる。この時代には日本全国広い範囲で巨大な墳墓が建設された。
この仁徳天皇陵が属する百舌鳥古墳群にはかつて二百近い古墳があったそうだ。航空写真を見て、その数の多さに驚いた。
さらに東の奈良方向へ20�劼曚氷圓辰燭△燭蠅砲聾纏垳妬�群が存在し、ここにも二百近い古墳が確認されている。
この時代の日本にはちゃんとした文字記録がないので、これらの古墳それぞれがどのようなものなのか、誰の墓であるかは、実際には分かっていない。
現在の「仁徳天皇陵」との呼び名も、江戸の終わりから明治の初め「王政復古」で天皇家の地位が再び高まった時代に、幕府が割り振ったものにすぎない。
地元ではもともと大仙陵と呼ばれていたのである。
この写真の地図にも「大仙風致地区」と書かれていたわけですね。
**
二時間程度の滞在時間しかなかったが、地元ボランティアガイドさんの話が大変面白く、またゆっくり訪れたいと思います。