
ブダペストにはじめて行ったのは1990年代はじめだった。
その当時でも日本人で住んでいる方がちゃんといた。ブダペストの北エステルゴムには、すでにスズキの自動車工場もあったのである。
在住の日本人と観光客の両方に向けて、日本語のミニコミ誌が発刊されていた。それが「パプリカ通信」。
小松が、どこかの店で見つけて手に取ったのが一番左上の号であった。ハンガリーの名産であるパプリカがシンボルになっている。
その後、何度目かに訪れたブダペストの日本食レストランで、その店のオーナーが「パプリカ通信」の編集者だと知った。
それから「こま通信」メールをお送りしていたのだが、「面白いから『パプリカ通信』に載せたいのですが」とメールをいただいた。
それ以降、掲載されたものを、わざわざ日本まで送ってくださるようになっていた。
何年続いたのだろう…手元にあった最も新しいものは2005年頃発行である。
もう今はネットがこういう役割を担うようになり、こういったミニコミ誌は姿を消してしまっている。