ソルトレイクシティの旧ユニオン駅の入り口に、ひっそりと一枚のプレートがはめ込まれていた。言われなければ見落としていただろう。
岩倉具視を主席とする視察団は明治四年の11月に横浜を出発し、サンフランシスコを経由して同年12月にソルトレイクシティへ到着している。
アメリカ大陸横断鉄道はそのほんの数年前開通したばかり。サンフランシスコまではまだ達しておらず、西海岸側の始発駅サクラメントまでは、まだ運河で移動していた筈である。
このプレートにはユタに三週間滞在したと書かれていたが、どうやら実際には四日ほどであったようだ。
着物を着て公家風の髷を結っているのは、明らかに岩倉具視。その下にいる女の子は誰?
調べてみると、それは津田塾大学を創立した津田梅子、六歳の姿であった。ううむ、この年齢の女の子を一人で施設に送り込むというのは、どうんな親だったんだ?と思ったが…調べてみると、やっぱりそれを意図するだけの親であった。また別のところで書きます。