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法隆寺展で鈴木空如を知る
2014-06-06
朝11時に田町ちかくでアイスランドの旅のうちあわせをして、帰りに上野の東京芸大付属美術館でやっている「法隆寺展」を訪れた。
首都圏は梅雨入りして、きのうからずっと雨。それもけっこう本降りで時には豪雨と言えるほど。こんな日の午後遅くならば空いているだろうと予測してのこと。会場近づいても行列は見えず、待ち時間もなければ、展示物のまわりの人垣もなかった。
同じ事物を見るのでも、どんなコンディションで相対したのかで、自分にとっての価値はずいぶん違ってくる。 極端な話、満員電車で押し合いへし合いの中で名画を見せられるよりも、どこかの居心地良いサロンで愛情をもって飾られた無名の絵に対する方が気持ちが伝わってくる。
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時々会場に置いてある図録の解説を読みながらまわる。会場は三つのパートに分かれていて、最初の二つを地下、もうひとつが三階に位置していた。
最初に誘導された地下の展示は、法隆寺創建の後に納められていった聖徳太子を讃える品々というところ。それは鎌倉・江戸といった時代から、現代の高村早雲や平櫛田中といった名工の作品にまでつながっている。
特に、高村光雲制作の《定胤和上像》昭和5年(1930)は、行けるが如く存在感があった。吉岡堅二作《炎上》は、金堂が焼けてゆく様を痛々しく現出させてくれていた。
しかし、 見どころはやはり法隆寺金堂から特別出品されている平安時代・飛鳥時代の品々だろう。これらは三階にあった。
※会場での案内は、この「第一章 美と信仰」と題されているこの三階部分の方には、後から行くようにアナウンスしていた。
そうでしょうね、こちらを先に見てしまったら、地下の「第二章 法隆寺と東京美術学校」「第三章 法隆寺と近代日本美術」という展示は、どうしても軽く見えてしまうから。
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法隆寺金堂の壁を飾っていた8世紀の壁画は昭和24年に焼失してしまっているが、この実寸大模写が展示されていた。それは法隆寺から特別展示されていたホンモノの仏像と一緒に展示されていても、遜色ない力を持っている。
あとから調べてみると、この超有名な壁画模写はいろいろな人の手で何度も行われている。 しかし、数ある中で今回の展覧会に選ばれたのは、たった一人で三度も全部の壁画を写し取った鈴木空如という人の、この作品。
会場で見上げて、美しさというよりもその迫力に圧倒されて、制作した鈴木空如という人物の名前をすぐに記憶した。
検索してみると、つい先月にテレビ番組「日曜美術館」で彼の事を取り上げていたことを知った。録画していたのにまだ見ていなかったのを帰ってすぐに見た。
彼の生き様を知ると、人生そのものがこの壁画に映し出されていたのだと感じた。
特に、三回目の模写にとりかかっている時に、わずか五歳の唯一の娘が病死したのはどれほどの悲しみだっただろう。その後の壁画へのうちこみ方は、より「祈り」そのものだっただろう。
どんな作品にも、印も落款も施さなかった彼の「描く姿勢」というのは、はじめから信仰だったのだとしても。
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