オレゴン州ポートランドの空港で、乗り継ぎの時に本屋の棚に見つけた。
村上春樹作品は海外でもとても人気があるからいろいろな国の空港で見かける。が、その装丁は日本と全然違ったものになっている。
同じ作品でも、そこから感じられる雰囲気がずいぶん違う。これは、村上さんの意志なのだろうか?あるいは、翻訳者の意志なのだろうか?
外国語に翻訳される時、どんな作品でも元の言語作品と全く同じにはならない。翻訳者の能力はもちろん、趣味趣向性格が反映されずにはすまない。
元来「言葉」とはそういうものだから。
たくさんの英語作品の日本語への翻訳も手がけられている村上さんだから、そこのところはよく理解されている事だろう。
すでに日本でも普及している「ライ麦畑でつかまえて」を、あえて自分の訳でまた出版しているほどに。
だから、自分の作品が英語に訳されるとき、その翻訳者は慎重に選んだに違いない。その言語を使う人々に提供される本について、信頼する翻訳者が「こういう装丁で出したい」と言うなら、たぶん尊重しただろう。
自分自身は少々「そうかなぁ…」と思ったとしても。