これまで通算六回催行してきた《手造の旅》アメリカ西部絶景の旅で、毎回必ず行程に入れているブライス・キャニオン。
すばらしい景勝地だが、充分な部屋数があるホテルは、このルビーズ・イン一軒だけである。
ロビーに置かれていたこのホテル新聞が、1916年にここをはじめたルビーとミニー夫妻の話を書いてくれている。
その中で驚いたのは、ここに移り住んだはじめ、彼らはブライス・キャニオンの存在すら知らなかったという事実。
百年前のこの西部では、観光というものはまだまだ黎明期にあった時代。二人は観光客のためのホテルをひらこうなどとは、思っていなかったのだ。
**以下、ホテル新聞の記事(※この写真)より
「私の名前はリューベン・サイラット。でも、皆は僕のことをルビーと呼ぶ。 妻のミニーと僕は、近くのパングゥイッチの街で19世紀の終わりに生まれ、1905年に結婚した。」
「私たちはいつも、自分の牧場を持ちたいと思っていたが、その機会は1916年にやってきた。 娘のアルメダが生まれた六週間後のこと。息子のカールは八歳だった。」
「我々家族は馬車に荷物を積んで、パウンサウガン台地の端に位置する我々の土地にむかった。二日間25マイルの旅。初日には美しいレッド・キャニオンの頂上にも登った。」
「ある日、泊まった旅人のひとりが『ブライス・キャニオンを知っているか?』とたずねた。『どんなところなんだ?』と言うと、彼は『なぁに、だたの地面の穴だよ、でも一度見ておいた方がいい』と答えた。」
「次の日曜、我々は馬車で出かけた。ブライス・キャニオンは我々の家からほんの数マイルのところに位置している。しかし、そこで見たものはこれまで、どこにも見た事もないような『地面の穴』だったんだ。」
「ブライス・キャニオンに魅せられた私たちは、できるだけ多くの人にこの場所を見せたいと思った。1919年にはサンセット・ポイントにテント村をつくって、どんどん人を呼ぶようになった」
**引用終わり
現代の我々はガイドブックで「こういうものがある」と知ってやってくる。写真で知っていてさえも、びっくりするのだ。全く予備知識なくこの景色に出会った百年前の彼らは、どれだけ驚いたことだろう。
※2014年に訪れた写真日記は、下記からご覧ください↓
http://blog.goo.ne.jp/komatsusin/e/03128ba2b66ba7f68eb3b3bd3d362388