アムステルダムを出てクレラー・ミュラー美術館経由、アントワープへの一日。
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アントワープで必ず訪れる大聖堂、そのルーベンスの絵。
ネロとパトラッシュがその絵の前で死んでしまった「十字架降下」ではなく、正面祭壇の「聖母被昇天」(※写真右)を見るたびに、ルーベンスがどれほどティチアーノに影響を受けているのかを感じる。
この絵はヴェネチアのフラーリ教会の主祭壇になっている、ティッチアーノの「聖母被昇天」(※写真左)とよく似ている。全体の構図、空の分割、天使の描写…ティチアーノのこの「聖母被昇天」を見た画家は、ほとんど誰も影響を逃れる事が出来なかったのではないだろうか。
実際にヴェネチアで目にすると、その環境と共に圧倒的な求心力がある。
左の「聖母被昇天」をティッチアーノが描いたのは1516年。二十代の終わりごろ。
右の「聖母被昇天」をルーベンスが描いたのは1626年。ほぼ五十才。
ティチアーノが没した翌年にルーベンスが生まれている。ルーベンスがはじめてイタリアへ行ったのは1600年、25歳ごろとされる。
はじめてイタリアの巨匠たちの作品を目にした若きルーベンスは、きっと手当たり次第にスケッチしていったことだろう。そうして、生涯のアイデアの源泉を得ていったに違いない。
それから何十年経とうとも、そうやって自分で手に入れた確信に代わるものはない。
※この日あたりの写真日記は下記からごらんください
http://blog.goo.ne.jp/komatsusin/e/eacc8dff41e7263f74cbffbab41e8ef5