《手造》ポルトガル、パリ経由で帰国便に搭乗の日。
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きのうのリスボン観光に入れた「国立古美術館」は、日本人には南蛮屏風が所蔵されている事で知られている。
小松もそれを主たる目当てとして訪れたのだが、ヌーノ・ゴンサルヴェス (Nuno Gonçalves)が15世紀半ばに描いた「サン・ヴィセンテの祭壇画」に魅了された。
あのダ・ヴィンチが生まれた頃に、ポルトガルでもこんな肖像群像が描かれていたんですわい<(_ _)>
祭壇画と作者については別に書くとして、ここに画かれている、ポルトガル史上最も有名な「エンリケ航海王子」の肖像について少し追ってみたい。
エンリケは1394年3月4日生、21歳の時に現モロッコのセウタを攻略する戦いで名をあげた王子。ジョアン王の三男とされている。母はイギリス人のフィリッパ・ド・ランカスターで、この母の元、兄弟そろってよい教育を受けた。
祭壇画が描かれたのは1450年代と想定されているので、エンリケは50代。この薄い髭の人物の年代と合致している。
この祭壇画が1883年に見つかった時、この人物がエンリケだと特定されたのには、それ以前にエンリケの顔とされるものがあったから。それは1838年にパリの国立図書館で見つかったこの肖像画である↓
※こちらのページ左下の方にその肖像画があります
http://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Vincent_Panelsエンリケと同時代のズララという人物が書いた年代記の扉絵だ。内容がセウタの攻略などを扱っているのと、エンリケのモットーが描かれているので、この人物がエンリケと推定されたのだ。
別の人物という可能性もある。王である兄のドゥアルテかもしれない。
しかし、この絵が描かれたのが1450年だだとすれば、兄ドゥアルテ王はすでに亡くなっており、幼年の甥アフォンソが即位。その摂政をしていた次男のペドロも内紛で没してしまっている。
次の摂政として、16〜20歳ごろの甥を助けていたエンリケがこの位置に描かれていてもおかしくないだろう。
前にもっと大きく描かれた人物が、甥の王であるアフォンソ五世の年齢だと見える。
この祭壇画の全体像は下記からご覧いただけます↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%86%E3%81%AE%E7%A5%AD%E5%A3%87%E7%94%BB