マルヴァオンを出発し、世界遺産のトマール修道院、1917年聖母御出現のファティマ、大学町コインブラを見学して、二十世紀初頭の雰囲気をとどめたクリア・パレス宿泊の日。
普通のツアーではほとんど全く行く事はないだろうマルヴァオンについて、もう少し書きます。
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海抜850mでも、平地から見上げるマルヴァオンは「天空の」と形容したくなる。スペインとの国境ちかくのポルトガルの街。
しかし、この街が建設されたのはイスラム時代。9世紀頃のイブン・マルワンの名前に由来する。
山上の街に住むのにいちばんの問題は水の確保だっただろう。ローマ時代以前から、山の上に集落を築いた民族はいろいろな方法でこれを克服してきた。
マルヴァオンの城を見学した時、城のいちばん低い場所に「CISTERN=チステルン」という表示を見つけてその示す真っ暗な階段を下りてみた。
「チステルン」はラテン語で貯水槽を意味する。
真っ暗な中、水があるのが感じられたので、フラッシュをつかって写真を撮ってみると、石の天井の下に満々と水がたたえられているのが写った。
http://komatsusin.hopto.org/koma/modules/myalbum/photo.php?lid=2272&cid=64城の解説によると46m×10m。六か月分の水を溜められる、ポルトガルの城で見られる最大の貯水槽だそうだ。
これは…たぶん9世紀頃イスラム時代からあったにちがいない。この町がキリスト教徒のモノになったのは1166年とされるが、その時にはすでにあったと考えた方が自然だ。
領主が変わっても、宗教が変わっても、雨水を確実に溜めてくれるこの貯水槽は住民にとって最も重要なインフラだったにちがいない。何百年もの間、変わらずに雨水を集めているこの場所。
地上の城や宮殿が廃墟となった今でも、変わらずに存在していたのか。
二十世紀でも、こういう山の上に水道が引かれていたのか、疑わしい。
マルヴァオンでいちばん印象的だったのは、崖の上の絶景ではなく、地下の巨大な貯水槽だった。
※マルヴァオンの写真日記は下記からごらんください↓
http://blog.goo.ne.jp/komatsusin/e/d756ab4d42f0756f782320e45fb3f00b