マーランゲンの絶景ホテルからトロムソへ向かい、午後トロムソ観光。夜はオーロラ・ウォッチングへ。
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トロムソの見どころのひとつポラリア博物館(水族館と呼んだ方がよいかな)の前にこの銅像がある。
その存在はこれまでも目に入っていた筈なのだが、どういう人なのかを、今回のガイドさんの説明で初めて認識した。
★ヘルマール・ハンセン
1870年に北ノルウェーのロフォーテンの北にある島の生まれ。アムンゼンは南ノルウェーの出身だったが、ハンセンは生まれながらの北極圏育ちということだ。アムンゼンよりは七歳年下である。
ユーラシア大陸最北端より北にあるスピッツベルゲン島でアザラシ漁も経験。極地での経験を積んでゆく。
1903-5年のアムンゼン北極行に同行。1911年に、結局南極へ行く事になるアムンゼンの探検に参加。犬ぞりを操るのが上手かったので、いつもコンパスを持って、アムンゼンよりも先を行く役割をしていたそうな。
だから1911年12月14日も「たぶん、ヘルマンの方がアムンゼン本人よりも先に南極へ到達していたのに違いない」と、案内してくれたオランダ人ガイドのアルヌさんは言うのだ。
たしかにそうかもしれない。北極点は、はじめて到着した時にはその場所を示す表示などはなにもない。「ここらあたりがそうにちがいない」と確信したアムンゼンが標識になるテントを置いたのがはじめである。
その時も、念のためヘルマンに周囲二百ヤード四方をくまなく走り回らせたと言われている。
アムンゼンは人類ではじめて南極点に到達の人として有名になったが、その時いっしょだったメンバーはただの「同行人」と思われがちである。しかし、偉業を残した英雄と思われている人も、周囲の現場力のある人たちに支えられて、そこに立てたのだと、このヘルマンの像は思わせてくれる。
アムンゼンは、1928年に友人のイタリア人探検家が行方不明になったのを捜査しにトロムソから飛行機で飛び立ち、消息を絶った。55歳。
1956年、ヘルマンはここトロムソで亡くなった。85歳。
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