紀伊国屋ホールにて、表題の劇を見る機会に恵まれた。
時代は第二次大戦中だが、けっして「昔はこんな事があったんだ」という話ではない。
どの時代でも、どの世界でも、どんな立場にいる人にも、試される命題である。
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第二次大戦中、昭和17年の東条英機内閣下で行われた、いわゆる「翼賛選挙」においては、政府が当選させたくない候補に対して様々な妨害工作を行ったとされる。
「戦争に勝つために、議会は政府の方針に異をとなえるようなものであってはならない」という考え方は、愛国的な国民にあっては珍しくなかった。
軍部に反対しない議員で国会を占領すると、「立法府」は「行政」の言いなりとなる。
落選「させられた」候補は、三権の残るひとつである「司法」に、一縷の望みをかけて告訴した。
大審院の裁判長であった主人公・吉田久は、他の同様の訴訟が原告敗訴を言い渡す中、「選挙無効」を言い渡した。
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自分が属する社会が、自分の信念を曲げる事を要求するとき、人はどう行動すべきなのか? 長いモノには巻かれる方が楽なのは、いつも・どこでも、同じ。
それでも貫く「気骨」の源は何なのだろう。
自分一人が苦境に立たされるだけならまだしも、家の窓ガラスは石を投げ込まれてすべて紙で代用となり、朝、戸を開けるといつも猫の死体が置かれていたり。息子が激戦地に送られたり…それでも、自分の信念を曲げない行動が、あなたには・私にはとれるだろうか?
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2013年、「特定情報保護法案」なるものが、成立に近づいている。この法律が、戦争中の「治安維持法」の様に、人々の自由な発言を封殺する道具として使われることになるのかは、正直言って分からない。
しかし、そういった可能性がある法律ではある。
※気骨の判決については下記からお読みください↓
http://www.haiyuza.net/%E5%85%AC%E6%BC%94%E6%A1%88%E5%86%852013%E5%B9%B4/%E6%B0%97%E9%AA%A8%E3%81%AE%E5%88%A4%E6%B1%BA/