シャルトルの地下聖堂に入ったのはこれで四回目ぐらいである。決まった時間にガイドさんがカギを開けてくれて入る。基本的に案内はフランス語だけだが、小松はいつも翻訳してくださる方とご一緒で幸いだ。
しかし、フランス語で解説してくださる方によって、内部の解説もまた見せる(見せようとする)場所も違う。これが面白いので何度でも見学したくなる。
今回はじめて聞いた説明の中に、この写真(上)のフレスコ画が、シャルトル大聖堂で一番有名なステンドグラス「青い聖母」の元絵になったかもしれないという話をきいた。
このかすれたフレスコ画は以前にも見た事があったが、どのガイドさんもこれがステンドグラスの「青い聖母」のモデルになったなどという話はしなかった。きっとこれは「仮説」なのだろう。だから、ガイドブックにももちろん載らない。が、言われてみて「そうかもしれない」と感じた。
12世紀半ばのステンドグラス製作者は(この聖母の四枚だけが12世紀のもので、これらは13世紀のステンドグラスにはめ込まれている)確かに地下にあるビザンチンの影響色濃い11世紀のフレスコ画を見ていたのに違いない。
ステンドグラスの方にある聖母の冠の場所と幼子キリストの後輪の部分。これらがフレスコ画の方では空白になっているのは、たぶんこの部分には本物の金箔かなにかが貼り付けてあったのではないだろうか。ビザンチン絵画ではよく用いられる手法である。
薄れてしまった色は想像するしかないが、全体の人物ポーズ・構図・バランスがとても似ている。
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地下聖堂は地上の大聖堂が火災に遭ってもそれ以前の古い聖堂の構造を残している。一番古い部分は8世紀、カロリング朝に遡るとされる。
その小さな礼拝堂を核にして周囲に増築していった建造物がとりかこむ。このフレスコ画があるのは、10世紀末のシャルトル勃興の立役者、フュルベール司教の時代に増築された、巡礼たちが寝泊まりした地下の巨大なクリプトの壁。
しかし、この絵が描かれている壁は、そのクリプト以前にあったかもしれない。その証拠にこの絵の聖母子はアーチからずれた場所に位置していて、クリプトを形成したアーチはフレスコ画の後から形成されたようにみえる。
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