
前日14日の夜羽田へ行き、15日の00:40発パリ行に搭乗。朝05:40パリ到着・乗継、12:00にイタリア中部の町ボローニャへ降り立った。
幸いホテルの部屋にはいれたので荷物を置いて近くで昼食、パスタの乗ったピッツァもおいしかった。
午後三時半からローカルガイドさんとボローニャ市内を徒歩観光。一般的なツアーではなかなか入らない街だが、見どころはたくさんある街である。※この日の写真日記は後日
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地元ガイドさんの話で何度か出てきて、小松が訳しきれなかった事柄を帰国後に調べた。それは★ボローニャは世界で初めて奴隷制度廃止を法律にした街である、ということ。
ボローニャはポルティコと呼ばれるアーケード街で有名。城壁内で総延長38�劼肪�するそうだ※写真下
ガイドさん曰く、このポルティコがつくられた理由は「奴隷解放」にあるという。
調べてみると、その「奴隷解放」は、1249年のファサルタの戦いの後、1256年に出された「Legge del Paradiso=天国法」を指していた。
イタリアの諸都市が叙任権闘争により、皇帝派(ギベリーニ)と法皇派(グエルファ)に分かれて抗争を続けていた時代。
法皇派に属していたボローニャは、皇帝派をやぶり、フェデリコ二世の息子エンゾを捕虜にするほどの勝利を得た。
この戦争の結果ボローニャは、敵方の封建的荘園領主の所有する奴隷を公費で買い取り、自由民とするというかつてない政策をとった。
当時6000人の奴隷が400人の封建領主によって所有されていたが、そのうちの5855人が自由を得た。ボローニャ市が支払った金額は54,014ボローニャ銀リラにのぼる※奴隷一人あたり10リラ(子供8リラ)。
ボローニャ市はこれを慈善事業として行ったわけではない。将来的に必ずボローニャの為になる政策である。つまり、自由民は奴隷よりも一生懸命に開墾する。税金を払う。ボローニャに恩義を感じるシンパとなる。
しかし、封建領主はおもしろくない。
自由民となった旧奴隷たちは時に襲撃された。
ボローニャ市は彼らが安全に独立できるようになるまで住む場所を提供する必要が生じ、ポルティコをつくって部屋を増築したというのである。
なるほど。ただ、雨の時にも便利なため、じゃぁないのですね。
※この日の写真日記は下記からごらんください↓
http://blog.goo.ne.jp/komatsusin/e/2e73911fcbaebf8db4bba927626888d9