《手造の旅》あなたの知らないロンドン、パリ+シャルトル5日目
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朝、MSM(モンサンミッシェル)エリアのホテルを出て、1944年に上陸作戦の行われた海岸を目指す。MSMへ行くツアーはいくらでもあるが、この場所を見学するコースはほとんどない。
それは、第二次大戦において日本はドイツの同盟国=アメリカの敵国だった事も関係があるかもしれない。ここに載せた写真は、記念碑の一角に掲げられた日本軍の占領地域図だ。
「この場所を、日本人の方を案内出来るのは光栄です」と、今日お会いしたフランス人ガイドさんが言った。
あの上陸作戦は百キロに及ぶひろいエリアで五か所同時に行われた。多くの地点でドイツ軍の抵抗は予想より激しくなかったが、オマハ・ビーチにおいてはちがった。
戦闘地点にばらばらに存在していたアメリカ軍兵士の墓を1956年に集めた記念墓地は、1956年にオマハ・ビーチちかくのこの場所にまとめられた。
※上陸作戦記念館訪問日記は下記に↓
http://blog.goo.ne.jp/komatsusin/e/fe382f429defe6b9b98d040cdee5b16e**
上陸作戦ではじめて解放された都市であるバイユーには、11世紀中世の英仏をめぐる歴史を語る「バイユーのタピスリー」がある。英仏の子供たちなら社会の授業で必ず習う「1066年ヘイスティングの戦い」。登場人物をあたかもマンガのように描いた全長七十メートルに及ぶ刺繍絵巻物。日本語での機械解説もあるのでよく理解できる。
そのタピスリーが飾られていたという大聖堂も見物。地下には11世紀当時に遡るロマネスクの地下聖堂が残されている。時間が押していたが、昼食に充てる時間よりも優先。
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バスで四十五分ほど内陸に走り、ファレーズという街の近郊にある、通称「林檎の礼拝堂」を見学。日本人の美術家・田窪さんという方が、廃墟になっていた15世紀の礼拝堂を再生させたもの。
今回のコースにここを入れたのは、早い段階で参加を申し出ていただいた方が「ぜひ、見てみたいのですか…」と希望されたのがきっかけ。《手造の旅》は、参加する方々との対話から触発される部分が少なくないのです。
昼食はシャルトルまで移動する途中のサービスエリアで各自さっとすませていただいた。充実した観光のために、時にはこうして時間をつくらなくては。
今日は幸い土曜日で道路が空いていて三時間ほどでシャルトルへ到着した。暗くなる前に美しい市内を少し散歩。ここで宿泊するのは、夏場だけ行われる素晴らしいライトアップを見ていただこうと思ったから。
さらに、地元のガイドさんが「シャルトル大聖堂・地下ろうそくツアー」をいうのをアレンジしてくださっている。旧知の小松がどんなものを好むかを予想してこういう手配を先回りして入れてくださるのは、信頼あっての事。ほんとうに嬉しい事です。
現場で直接ガイドしてくださる方々は、その街・その国についての、外国人印象を決定付ける。良き人と出会う事こそは旅そのものの価値だ。
本日午後の写真日記は下記にてごらんください↓
http://blog.goo.ne.jp/komatsusin/e/60691a3a013374e1709a313f37540342★シャルトル大聖堂のライトアップと地下聖堂ろうそくツアーの様子は下記に書きました↓
http://www.tour.ne.jp/blog/komatsusin/71765/