コペンハーゲンの繁華街ストロイエ通りのすぐ近くに、ラウンド・タワーという17世紀に建てられたレンガ造りの塔がある。頂上まで螺旋スロープの道があり、馬や馬車で行けるように設計されている。当時、天体観測の為に造られた。
塔の下、目だなない小さな胸像がある。ティコ・ブラーエはデンマーク貴族として生まれ、チェコのプラハで皇帝に仕え、そこで没した天文学者である。
彼は、後に「ケプラーの法則」で知られるようになるドイツ人ヨハネス・ケプラーを助手にしていた。
望遠鏡が無い時代に最高の精度の観測データを持っていたティコは、天動説を基本にしてなんとかそれに折り合いをつける説明を見つけようと苦心していた。
死ぬまで天動説を信じていた師のティコのデータをもとに、弟子のケプラーは地動説を支持するようになる。「楕円軌道」というそれまで誰も至らなかった考えによって矛盾を解決したのだった。
四百年後の今日、ティコ・ブラーエは「間違っていた天文学者」としてみなされて意味がないのか?いや、そんな事はない。
人は、それぞれの時代に沿って最善の生き方をするしかない。たとえ間違った結論に至っていたとしても、肉眼で成し得る最高の観測データを記録するのは、彼でなければできない事だった。
ケプラーに後を託して逝けた事は、まぁ、幸運だったと言えるのではないか。
ティコ・ブラーエの墓はプラハのティーン教会にある。
2010年になってその死因を探るべく墓が開けられたが、そこで彼の鼻が金属の付け鼻であったことがわかったそうだ。フェンシングの試合で鼻を失ったとか。
死因はパーティーの席でトイレに行くのを我慢しすぎて、結石が詰まって尿毒症、と言われるし、なかなか個性的な人物の様である。今度プラハに行ったら、彼の墓を訪れてみたい。
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