ムジカーサという小さな音楽ホールに、ピアノのコンサートを聴きに行った。今年で二十回目をむかえるという好きで続けておられる数人が主催しているもの。
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外は雨が降り始めていた。細長いガラス窓の外に映る緑が揺れている。グランドピアノ二台だけが置かれたコンクリートのシンプルな建物。百席程度の客席は静かに音に集中している。遠雷がきこえる。
「最後の2台ピアノは、ぜひ聴いていただけたら、と思います」とメールをいただいていた。
ここまで、アルベニスやドビュッシーなどクラシック曲、SMAPやアニメのテーマ曲など、多彩な曲が展開されて、どれもが充分な水準だった。そして、どの曲も、奏者それぞれが好きで演奏しているのが良く伝わっていた。入場するときに渡された冊子に、それぞれがなぜその曲を選んだのかも書かれている。音楽というのは、もちろん音だけで人に伝えるものだけれど、人には言葉になってはじめて理解できることがある。
唱歌の四季の紹介は「私がこの曲に出会ったのは、とある児童合唱団に指導者としてお世話になった時です。児童合唱と二台のピアノの為に編曲されていた曲を聴いて、軽い衝撃をうけました。よく知っている曲が、三善先生の手にかかると、こんなに不思議で美しいものになるだと」とあった。
唱歌四季は四曲から構成されている。 朧月夜(♪菜の花畠に入日薄れ)、茶摘(♪夏も近づく八十八夜)、紅葉(♪秋の夕日に照る山もみじ)、雪(♪雪やこんこ霰やこんこ)どれも、日本人なら誰でも知っているメロディにちがいない。時にストレートな、時にドビュッシーのように複雑な、和音。 童謡・唱歌という、いわば「鉄板メロディ」を使って自由にきらめくようにメロディとリズムをあそぶピアノ。
楽曲の美しさと、アレンジの巧みさに、ひきこまれていく。そして、自分の意識の底にある日本人を新鮮に揺らしてくれる。
二日前まで滞在していたノルウェー、フィヨルド美しい山々を見てノルウェーの人々はグリークのメロディを思い出したりするのだろう。フィンランドならばフィンランディア? いやいや外国人には分からない唱歌がきっとある。 その国がそれぞれに、底堅い彼らだけのメロディを持っている。
今、聴こえてきているものが、日本人にとってのそれだ。日本には美しい四季があり、それと切り離せないように存在しているメロディがある。
帰国二日目に聴く唱歌は、しらずしらずに涙腺をゆるくしていた。