マルセイユからアルルとポン・デュ・ガールを経由してアヴィニョンへ向かう日。
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写真はアヴィニョンの法皇宮殿にて。かつて豪華だったろう内装などは皆無だが、一部の部屋のフレスコだけが往時をしのばせてくれる。
先日、退位したベネディクト16世法皇についての報道で、「存命中に退位した法皇というのは六百年ぶり」とあったので、気になっていた。時代がちょうどアヴィニョンとローマで二人の法皇が対立していた時代にあたるからである。
調べてみると、「六百年前」とは、法皇が二人立つ異常を解消するために、二人ともを退位させて、新たに法皇を選ぶための宗教会議を指していた。
15世紀初めに何年にもわたってボーデン湖(スイスとドイツの国境)にあるコンスタンツで行われた会議において。1415年に、ローマ側のグレゴリウス12世が1409年ピサ公会議での退位勧告を受け入れた事を指しているようだ。
生きているうちの法皇退位というのは実はそれ以前には何度もあったようで、英仏戦争の調停のために退位させられたセレスタ(チェレスティーノ)五世以来だという話もあった。