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一路真紀演じる「アンナ・カレーニナ」ル・テアトル銀座
2013-02-07
縁あって、表題のミュージカルを見た。原作は百年以上前のトルストイの小説。十九世紀ロシアの上流社会で、道ならぬ愛を貫こうとするがゆえにアンナが辿ってゆく運命やいかに、という話。
これが、現代の日本でどれだけ現実感をもって観客に受け入れられるのか?心配だった。

しかし、それは杞憂であった。

一路真紀には「華」がある。出てくると、どの場面でも舞台は彼女を中心にまわりはじめる。単に主人公であるというだけでなく、その存在感・自信がそうさせる。そして、最後のカーテンコールの時に彼女が見せた凛とした美しいお辞儀に感じ入った。
人はお辞儀ひとつでこれだけ人を惹きつける事ができるのだ。 ひとつひとつの日常所作の大切さを教えられた気がする。

彼女が演じていく限りにおいて、多分どんな役柄であっても成立させてしまうだろう。それが、その人の存在の力である。これは鍛錬して得られるものではないのかもしれない。練習して向上するという類のものではないと、思わせる。
「華」を裏付けるものが「自信」であり、「自信」は人一倍の鍛錬・練習がはぐくむものではあるだろうけれど。

二度目のカーテンコールから引いていくとき、長いスカートの裾をちょっと踏んで、「てへっ」とおちゃめな笑顔になった。アンナという憑依から素にもどった笑顔が、ほっとさせてくれた。


トルストイは普遍性という器を用意していた。
主人公アンナの苦悩は、どんな時代にも存在する。世間と自分の貫きたい事の軋轢はロシア帝国の上流社会女性にだけあるものではないのだ。 トルストイが優れているのは、これを描くのに時代という大道具の力を借りていないところにある。

常識や体面をなぞる人、なぞって生きていくことが出来る人。それを破壊するだけの情熱に出会ったことがない人。 情熱の強引な力、そこに身をゆだねる幸福。しかしやってくる情熱のもろさ・無常。

物語の造り方を見ていくと、トルストイが結論を導くのに利用しているのは時代ではなく信仰であるのが分かる。
ネタバレになるが、最後に残される女の子を伯爵が引き取るという結末はそれを感じさせる。並の現代の小説家が書けば、アンナの絶望に現実味を持たせるために生まれた子は夭折させていただろう。だが、トルストイは敢えて彼女を殺さなかった。

「赦し」があればこそ人は生きていけるというトルストイの結論をそこに見る。「赦す」のは、人ではなく、神がそこにいる。



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