フィンランドの国の形は、よく「女性が片手をあげて踊っている」と形容される。1920年には「両手」だったことが、この地図を見て分かった。その失われた手は北極海にも届いていたのだ。
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《手造》フィンランド+エストニア三日目
一般ツアーののヘルシンキの観光で、いつも入りたいと思って入れていなかった国立博物館。ここをガイドさんに説明してもらって見学する事が出来た。
石器時代から現代まで、多様な展示である。見どころはいろいろあったが、1920年から第二次大戦までのフィンランド地図に目が留まった。
この地図で赤く塗られているのは、第二次大戦後にソ連領となった場所。今もこれらはロシア領である。いちばん南のカレリア地方に関しては以前に読んだ事があったが、いちばん北のペツァモ地域についての経緯は知らなかった。
ここが冒頭の「失われた片手」にあたる。現在でもソ連のムルマンスク州ペチェンガ地区である。北極海への出口であり、1921年にフィンランド領になってからニッケル資源が発見されていた。
ロシア革命によって独立を宣言したフィンランドは、二年の抵抗戦争の後ソ連から独立を勝ち取り、その時の国境線では北極海へ通じる「片手」があった。
ドイツとソ連がポーランドとバルト三国を分け取りしたように、フィンランドにも危機がせまった。が、やがて二国が争うようになると、ソ連の侵入を防ぐために、こころならずもナチス・ドイツと協力するようになる。
この結果、戦勝国となったソ連に対して賠償金と共に領土を正式割譲せざるをえなくなったのである。
フィンランドはこれらの領土割譲によって、独立を守ったのだと言えなくもない。バルト三国は1990年代まで実質ソ連に飲み込まれてしまっていたのだから。
※この日の写真日記は下記でご覧ください。
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