ニュルンベルグの聖母教会にある目だない尼さんの像。
彼女は1891年に現ポーランド領(当時のドイツ領)で、ユダヤ人の家に11人兄弟の末子として生まれた。
子供時代の辛い経験によって、十三歳でユダヤ教の信仰を放棄、意識的に無神論者となった。
ゲッティンゲン、フライブルグ両大学で学び、そこで出会った教授夫妻の導きによって二十五歳でプロテスタント教会に入る。
第一次大戦後、三十一歳でスペインはアヴィラの聖女テレサの自叙伝を読み、カソリックへの信仰を決意。翌年洗礼、洗礼名テレジアを得る。
ケルンのカルメル会へ入会したが、ヒトラーのユダヤ人迫害を逃れオランダへ移動。しかし、1942年に捕まり、アウシュヴェッツにて殺された。
1987年福者。
1998年ヨハネ・パウロ二世により聖者に認定。
カトリックの聖者と認定されているが、彼女の足元にはダビデの星が刻まれている。少女時代にユダヤ教の信仰を捨てていても、彼女は終生「ユダヤ人」という出自からは逃れられなかったという事か。
いや、死後も、列聖後も、こうして人々に記憶されている。
ユダヤ人というのは、そういう十字架なのだろう。
彼女を、果たしてユダヤ人と呼べるのか?