ローテンブルグからノイシュバンシュタイン城経由ミュンヘンへの一日。
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祭壇に開けられた細い縦長の窓から、冬の短い陽が蒼く差し込んでいた。
ローテンブルグのヤコブ教会にあるリーメンシュナイダー作「聖血祭壇」における「最後の晩餐」を見るのはこの四半世紀で何度目になるだろう。その度に違う表情を感じるのは、その時々に自分が変化しているからにちがいない。
今日は正面左下からも強い人工光が当てられていて、ひとりひとりの表情をより深く観察することができた。
通常「最後の晩餐」の中心に位置するのはいつもキリストだ。
しかし、この作品でのみ、中央には裏切ったユダが位置している。こんな構図の「最後の晩餐」は他にない。
左に少し寄せられたキリストが、銀貨の入った袋を持ち右から詰め寄るようなユダの口にパンをさしだしている。
人間ならだれでも持っている「弱さ」ゆえにキリストを裏切ったユダ。聖人になど成れない我々は、実はいちばん彼に似ている。
この光景を左から見ているヤコブは、じつはリーメンシュナイダー自身の自画像。「救われるべきはユダだ」と、作者である彼が主張しているように見えた。