ベルン大聖堂の正面入り口にある15世紀の彫刻「最後の審判」の一部である。写真左上が大聖堂の前で見上げて撮った写真のクローズアップ。何を描いてあるか?これではよくわからない。
写真右上は同じ彫刻、ベルン博物館に収蔵されたオリジナル本物。これでちょっとおもしろい顔した子鬼だと分かった。
山羊のような丸まった角。三つ指の手足。左手で太い笛を鳴らしながら、右手で太鼓を叩いている様子。最後の審判の右下部分だから、地獄へ落ちてくる人々を迎える音楽でも奏でているのだろうか。
地獄の悪鬼、というにはあまりにあっけらかんとして可愛らしい。
この像を見てすぐに思い出したのが、興福寺の灯篭を担いだ二匹の鬼の彫刻だった。※写真下左右
ベルンの子鬼は1485年(日本では応仁の乱の後)エルハルト・キュングにより完成。興福寺の灯篭鬼は1215年(鎌倉時代)に法橋康弁が造ったとされる。時代も場所もすべてが違うが、それぞれの彫刻には同類の生き生きした風合いが感じられる。
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灯篭鬼について、調べてみると、担いでいる灯篭は明治時代に想像で付け加えられたものだと分かった。
以下は推測である。
1771年(享保二年・八代将軍吉宗が即位した翌年)にこの灯篭鬼が収蔵されていた西金堂が火事にった(これは事実)。
木造は救い出されたものの、ばらばらに壊れてしまった。しかし壊れたことによって像内から「法橋康弁がつくった」という書付が発見された。
こわれた木材はその後修復されることなく、明治期になるまで修復用の古材としてほおっておかれた。
明治興福寺の修復をしていた森川杜園という職人が、これらを組み合わせると鬼の像になると気付き修復。しかし、担いでいたらしいものは失われて分からなかったので、新たに灯篭をこしらえた。
確かに、灯篭だけが新しく、図録でも「後補」となっております。