ブルーモスクから観光客の少なくなる方へ坂を降りていくと、ソコルル・メフメット・パシャのモスクがある。ここも建築家シナンのものですばらしいタイル装飾を目的に二度ほど来たことがあった。
しかし、その入口すぐ前に、この写真のモスクがあったのには全く気づいていなかった。見上げればたしかにミナレットがそびえている。
「ここはウズベキスタンから来た人たちのための宿泊所だったのです」とガイドさんが説明してくれた。なるほど、今も入口にそんなような事が書かれた看板が出ている。
トルコ民族はもともと中央アジアからこちらへ進出してきたので、あちらの方に言語的民族的に近い国々がたくさんある。中国の西の端ウイグル族だってトルコと近い民族なのだ。
「アトランティックレコードをつくったひとはウズベク人だったんですよ。今でもイスタンブルのアジア側にお墓があります」
へぇ、知らなかった。
1960年代70年代のR&B音楽を大好きな人ならアトランティック・レコードを知らない人はいないだろう。
創始者アーメッド・アーティガンは調べてみるとイスタンブルで1923年に生まれていた。父がアメリカへの大使として赴任したとき13歳で移住。ワシントンDCで学生時代を過ごしジョージタウン大学卒。この年代をアメリカで過ごした彼は、家族がトルコへ帰ってからも兄とともにアメリカに残る。実質的にアメリカ人として生きる事を選択したのだ。※国籍がどうなっていたのかは不明。あるいは二重国籍だったのかもしれない。日本では二重国籍を認めていないが、世界的の多くの国で二重国籍は問題ない。
彼が亡くなったのは2006年。つい最近という感じだ。学生時代以降のほとんどをアメリカで過ごしたにもかかわらず、彼はトルコというルーツを忘れなかった。だからイスタンブルに墓を持ったのだろう。そうだ、故郷を離れた人ほど、自分の中にあるルーツを強く意識するようになるのである。
さらに、彼はトルコの中にあっても、少数派である中央アジア系であるという事を意識はしなかっただろうか?
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このモスクは17世紀にはすでにあったから、子供の頃のアーメッド・アーティガンも、家族と共に礼拝にきていたかも、しれない。