イスタンブルが東ローマ帝国の首都・コンスタンティノープルだった時代の公式門「黄金の門」は、要塞となり七つの塔があるところからエプタ(七つの)ピルギオン(塔)と呼ばれた。トルコ時代になって翻訳されエディ(七つの)クレ(塔)となっている。
内部へ入ると何もない空き地をぐるりと石積みの壁がとりまいている。パノラマ撮影が効果的な空間※拡大してご覧ください。
ここは20世紀になってもまだひとつの村があったのだそうだ。古代の城壁に囲まれた空間は安全だったから人々がそこへ住んだのも理解できる。真ん中にあるのは、その村の人々のためのモスクのミナレットだったのだ。
南フランスのアルルにあるローマ時代の円形闘技場もまたひとつの村になっていたと説明されたことがある。
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