トルコになるまえ、イスタンブルになる前のこの町・コンスタンチノープルにはたくさんの貯水槽がつくられていった。紀元後四世紀、つまりローマ時代のこと。
現在見られるアヤソフィアが建設されていく六世紀には、すでに二百といわれる数の貯水槽があったとされている。
現在ツアーで訪れる「地下宮殿」という名前で呼ばれている有名な貯水槽はその中で最大のものだが(※あのメドゥーサの首が柱の一部に使われているやつ)、それ以外にもかなり巨大なものが、コンスタンチヌス大帝の四世紀にすでにつくられていた。
この写真の「ビンビルディク」(この名前はトルコ語で千一本の柱という意味、実際には224本の柱があった)は、コンスタンチヌス大帝の側近元老議員だったプロクセヌスによって建設された。
※写真、拡大してご覧下さい。
柱の長さは14メートル。二本の石をつなげてある。現在の地面では上半分しか見えてない(写真上)ので、一部下まで掘り下げてみせてくれている(写真下)。
当時の貴族達はこういった設備を一般市民の為につくることを求められていた。また、彼の自宅はこの貯水槽の上に建てられたので、個人用の水源としても利用していたそうだが(笑)一石二鳥。
かつての貯水槽の多くは、今はイスタンブルとなった街の地下にうもれてしまった。このビンビルディクも16世紀に枯れてしまい、現在はナイトクラブとして使われている。
「地下宮殿」と同じ雰囲気を感じられるとても興味深い場所。観光客がわんさか歩くヒッポドロームからすぐ近くにあるのだが、惜しい事に誰もやってこない。
《手造の旅》では出来ればこういう場所も見てほしいのであります。