ロワール古城めぐりの一日。
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レオナルド・ダ・ヴィンチのアイデアも生かされているという、最大の城・シャンボール城の中で一枚の絵をみつけた。題を見るとLa naissance du duc de Bordeaux=ボルドー公の誕生となっている。
時はフランス革命真っ只中。ルイ16世もマリー・アントワネットもとっくに断頭台の露と消え、ナポレオンも失脚して大西洋の孤島に流され、フランスに再び王制が復古していた時代の話である。
1820年9月29日、かつてルーブル宮殿の続きにあったチュイルリー宮殿の一室で「ボルドー公爵」は生まれた。
母はベッドのベリー公爵夫人。だが右の男性は父親ではない。手を上げて祝福しているのは時のフランス王ルイ18世(ルイ16世の弟)で、父親はこのとき暗殺されてこの世に居なかった。
この赤ん坊の祖父はルイ16世弟のひとりだったアルトワ伯(=後にシャルル10世として兄ルイ18世の死後に即位する)で、絵の中でベッドの左に画かれている。彼は兄二人(ルイ16世と18世)のようなでぶでぶではなく、スポーツマンで男前だったそうな。この絵の中でもイケメンに画かれている。
この子が「奇跡の子」を呼ばれたのは、ブルボン王家にはこのとき男の子の継承者が一人もいなくなっていたから。お腹にいる時に王位継承者の父が暗殺される不幸に見舞われ、ここで男子が生まれなければ、直系断絶の危機だったのだ。
果たして、歴史はこの赤ん坊にブルボン王家復活のチャンスを与えた。
1871年にナポレオン三世がドイツとの戦いに敗れて失脚。行われたフランス議会選挙で王党派が過半数を占め、亡命していたかつての「奇跡の子」その時51歳になっていた彼に復帰を求めたのである。
再びフランスに王が復帰するかと思われたが、革命の象徴である三色旗を「奇跡の子」は拒否しつづけた。大叔父(ルイ16世)と父の命を奪った革命は、この最後の直系王族にとってどうしても容認し難いものだったのだろう。
拒否し続けた結果、彼が王位につく機会は失われた。そして、その後永遠にブルボン王家が復古するチャンスはなくなり、フランスは共和国として現代に至っている。
十年後の1883年、「奇跡の子」は亡命先のオーストリアで没する。遺体は、現在はスロベニアの一部になったノヴァ・ゴリツァという街に葬られているのだそうだ。※WEB百科事典WIKI参照
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それにしても、何十年にもわたるフランス革命において、何度も何度も王家が復帰する機会があった事に驚かされる。
歴史ある国が苦難に陥った時、民衆が自分達を束ねる絶対的な存在を無意識に欲しているかのかのようである。
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この絵がシャンボール城にあるのは、彼の持っていたタイトルのひとつが「シャンボール伯爵」だったからである。いつも訪れている場所でも、ちょっと違う部屋を覗いてみれば新しい発見が待っている。
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