火祭りが終わり、静かになった朝のバレンシアの街に本格的な雨がふっていた。
その中、きのう入場できなかったバレンシアの大聖堂を見学してからタラゴナへ向かう。三時間のドライブにて午後二時到着・昼食。タラゴナ見学の後、バルセロナ泊の一日。
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タラゴナで最も忘れ難いのは、このローマ時代の円形闘技場のど真ん中に建設された教会だろう。十五年以上来ていなかったが、この光景だけはしっかり記憶していた。
紀元後一世紀のフラヴィウス朝に建設されたということだから、ちょうどローマのコロッセオと同時期。街側の観客席は斜面の石を削り出して利用され、全体で一万五千人を収容できたという。向こう側の観客席からはすぐ海岸が見下ろせる。
西暦259年、キリスト教迫害の時代にこの場所で司教フルクトゥスと二人の助祭アウグリウスとエウロギウスが生きながら火刑に処せられた。
キリスト教が国教となって後、この三人を葬る教会がここに建設されたのは、ローマのサン・ピエトロ大聖堂と同じだったわけだ。
この六世紀・ヴィシゴート時代の教会はしかし、八世紀初めのアラブ人の侵入により破壊され、イスラム教徒が去った後の十二世紀になってやっと再建された。現在十字型に見える壁はその時の「奇跡の聖母マリア教会」のものになる。
教会には1576年に修道院が建設され1780年まで(つまりフランス革命の余波がくるまでということだろう)続いた。フランス革命期には多くの修道院と同じく監獄施設になり、その後、港を建設する労働力として働く囚人を収監していた。
監獄の閉鎖の後は廃墟となっていたが、1948年円形劇場の発掘開始(1957年終了)。
同行してくれた現地ガイドさんによると、この発掘が行われるまでここにこれだけの規模の円形劇場があることは認識されておらず、故にオリジナルの石材これだけ残されたという事である。
もう二十世紀半ばのことなのだから、発掘が始まる当時の様子がどんなものだったのか知りたいと思ったが見当たらなかった。博物館あたりへいけば見つかるのかもしれないが、それは《手造の旅》の時への課題としよう。
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タラゴナの旧市街はローマ時代のフォロと神殿域にあたる。説明をうけながら歩いていると確かにそんなう雰囲気が感じられる。
タラゴナをゆっくり見られる《手造の旅》考えてみたいです。