ブータンを離れる日、パロの空港で手に入れた古銭である。
しかし、どうみてもブータンで鋳造したものには見えない。なにより19世紀のブータンで、自前の銀貨を鋳造するほどの貨幣経済が浸透したように思えない。
とにかく買って、ルーペで細部を読んでいく。調べていくうちに、これは当時の中国・清で貿易用につくられていた銀貨「光緒元宝」であると分ってきた。
光緒帝は1875年にわずか四歳で即位し、あの西太后が摂政をつとめていた事で有名である。彼が親政をはじめたのが十七歳になった1888年。最初の「光緒元宝」が鋳造されたのが、親政開始翌年の1889年である。
この時代、周辺のアジア諸国は西欧諸国の植民地状態になり、その貿易にはアメリカやメキシコの銀貨、フランスの貿易用ピアストルなどが流通していた。自国の通貨を大量に流通させることによって経済圏に組み込んでしまったのである。
それに対抗するというのにはあまりに遅かったのだが、清もまた1889年に独自の国際貿易通貨を発行。それが光緒元宝なのだ。
ブータンもまた辺境とはいえ中国の衛星国チベットと国境を接している。さらにブータンはイギリスの経済圏に組み込まれていたインドのすぐ北に位置している。
通貨としては銀本位というのが国際的なルールであるのだから、19世紀のブータンが光緒元宝のような銀貨を使うようになっていたのは納得できる事である。