コルシカ島出身のナポレオンだが、コルシカ島で神のように崇めたて奉られているかというと、そうでもない。もちろん人気はあるのだが、地元コルシカの人には「コルシカの独立運動には貢献しなかった」という視点となるかららしい。
※このあたりの話は将来(いつになるのやら?実現するのやら?)コルシカへ行く《手造の旅》の時に追いかけてみたい。
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コルシカ最南端の町ボニファシォの旧市街に、ナポレオンが1793年の1/22〜3/5まで住んだという家があった。
ガイドさんは「イタリア侵攻への準備をしていた」という説明をしていたが、詳しくはナポレオンにとってどういう時期だったのか?
調べてみると、当時ナポレオンは23歳。フランス革命は前年の9/22に共和国宣言をして、いよいよ周辺の君主国から攻撃を強められている時期にあたる。
コルシカ島はしかし、フランスというくくりで見られない歴史をたどっている。パスカル・パオリという独立運動の英雄がフランス革命を機に亡命先のイギリスからパリを経由して戻り、フランス共和国軍のいわば隠れ蓑を着て、コルシカで活動をはじめている。ナポレオンは彼の指揮下にあったようである。
ナポレオンはこのプレートで「コルシカ義勇軍中尉」と肩書きされている。※ナポレオン書簡集(アンドレ・マルロー著小宮正弘訳 朝日新聞社刊)では10月18日付けでアジャクシオからボニファシォ当局へ送った到着を予告する手紙に「義勇軍大体中佐」と署名しているようだが。
コルシカの南端に位置し、サルデーニャまで13キロの距離にあるボニファシォで、革命フランスを守るためにイタリアへの進行を準備していた、という解説は、まぁ間違ってはいないのか。
ナポレオンはここでどうしていたのか?何を考えていたのか?そういう資料はネットを検索してもなかなか見つからない。
ううん、こうなると、現地でもっとしっかり見て情報を得ておくべきだった。いつか、その機会がやってきますように。