キフツゲートコート庭園はおよそ百年かけてつくられた英国庭園の最高峰のひとつだけれど、そこで最も印象的だったのがこの四角い池のモダンアート的空間だった。
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朝、バースの街を徒歩観光。街も魅力的だが、ここのローマ浴場の博物館はいつ行ってもなにか新しい変化をみつけられる意欲的な展示をしている。今回も一時間程度の入館時間しかなかったが「これぞ博物館」というおもしろさだった。
11時に街をでて一時間程でコッツゥオールズの一角にあるヒドコット・マナー・ハウス庭園へ到着。 ここへ至る道は大きなバスが通るには全く適さない細さで、「こんなところへは団体のバスは行かないんだな」と思ったが、到着してみるとドイツ人とアメリカ人の観光客のバスが三台も止まっていた。
あえて、道を広げたりはしていないのですな。
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ヒドコット庭園はとても広い敷地を持ち、25の小さな庭園をつないだ構造をもっているとガイドブックにあった。さらに、二百メートルの「ロング・ウォーク」も有名なそうな。
事前にいろいろ調べて、たくさんの写真を見たけれど、やはり自分で訪れなくてはどのようなところかは理解できない。
到着した時、お願いしていたガイドさんがまだ到着しておらず、地図を頼りに歩き始めたのだが、ほとんど迷路のよう。意図的につくられた樹木の仕切りを過ぎると次々に新たなスタイルの庭があらわれてくるのだ。
三つほど庭を過ぎてトイレタイムをとっていたときに、息を切らしながら年配の男性ガイドさんが到着。そこからぐっと効率的に見学する事ができた。
さらに、この庭をつくった人物についての話もおもしろかった。こういうのはやはり人の口からきいて実感が沸く。
**以下、ガイドさんの話と現地のガイドブックより**
ローレンス・ウォーターベリー・ジョンストンは1871年パリに生まれたアメリカ人。しかし、少年時代からイギリスで過ごし、ケンブリッジを卒業して自然に英国軍に入隊していった。
遺された数少ない写真や手紙・日記から、金髪の悲しそうな目をした小柄な人だったことが伺われる。第二次ボーア戦争と第一次大戦に参戦し少佐の位に至るが、負傷してこのヒドコットの邸宅に住むようになる。
ヒドコット邸宅・庭園は、彼の「フォーミダーブルな」(このあたりの形容の仕方でコワそうな母だったことがみえる)アメリカ人の母が1907年7月2日にオークションによって手に入れていた。
彼女は二度結婚したが未亡人となり、最初の結婚での息子を溺愛していた様子がみえてくる。
周辺に複数の女性はいたが、結婚はしなかった。庭のひとつに「母が好きだった黄色に統一した庭」なんていうものもあり、「フォミダーブル」な母亡き後にも、息子はその陰に支配されてしまっていたのではないだろうか。
およそ四十年にもわたり邸宅と庭をつくり続けていったジョンストンだが、1948年、七十代も半ばをすぎて最終的にイギリスを離れる事を決め、邸宅と庭園はナショナル・トラストへ譲られた。
ヒドコットはナショナル・トラストが最初に所有する事になった庭園で、庭園というものをどのように管理していけばよいのかを、ヒドコットから学び始める事になった。
ジョンストンは南フランスのマントンにある別の邸宅・庭園で1958年まで生きた。
今やジョンストンが所有したよりも長い年月その所有者となったナショナル・トラスト。もともとジョンストンが意図していたスタイルを維持しようと資料を探索しているが、多くはそれを遺贈された女性によって意図的に失われてしまっていた・・・。
みやげ物売り場の片隅に、ブロンズ製のジョンストン氏の立像が押し込められるように立っている。本で見た白黒写真のようにダックスフンドを抱いて、少し悲しげなやさしい目をしていた。
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キフツゲート・コート・ガーデンは、ヒドコット庭園から歩いてもそれほど遠くない距離にある。
ここは現在でも個人所有の庭として生きている。いや、こういう言い方をするとナショナル・トラストが管理しているものは死んでいるのか?と思われそうだが、そこまでは言うまい。
ただ、個人所有の庭であればこそ、この写真のような斬新な現代の美しい空間が出現したのは間違いない。
もとはテニスコートであったこの場所だが、現在の持ち主であるアン・チェンバースさん夫妻が「自分達の嗜好を反映した物をこの庭に何か残したかった」という事で、この写真のような空間が出現した。
サイモン・アリスンという噴水彫刻家に「高さと動きのあるものを」と依頼してこの作品が出来上がった。
雲を映す水面と金色のそびえる葉だけでも充分だが、しばらくすると金色の葉からしなやかな水音をたてて水玉が流れ出てくるのであった。
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16時過ぎにキフツゲートを出発し、約三時間でチェスターの町に到着。これまでもここへは来ていたが、今回は自分で選択した旧市街ど真ん中のホテルに泊まる。
古くて床がきしむ狭い部屋のホテルでも仕方がないか・・・と思っていたが、どっこい、グローヴナーホテルはまったくそんな事はなかった。次回もし《手造の旅》でチェスターに泊まるなら、かならずここを選ぶだろう。
チェックインしてからホテルのダイニングと話をして、夕食をアレンジ。ほたて、生牡蠣、そして日本人には苦手が多いラムもおいしく食べられたが、一番おいしかったのは旬のグリーン・アスパラでした。