世界の写真」では
国別に小松の撮影した写真をお見せしています。

ツアコンモバイル通信」は
日本旅行HP内に掲載した
お話を国毎にまとめました。

手作りの旅》は
こま通信」企画の旅です。
こま通信のお問い合わせは
komatsusin2@gmail.com

までお願いします
ユーザ名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録


★ こま通信日記 ★


2011 年 4 月
     1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30


Search
サントリーニ島〜あのパンフレットの場所
2011-04-21
クルーズ船ルイス・マジェスティ号は、午前中クレタ島、午後サントリーニ島を訪れる。

**
クレタ島の港イラクリオンはギリシャ最大の港なのだそうだ。クルーズ船の停泊する桟橋もとても長く、下船しても徒歩で町まで行くには遠すぎる。さらに、イラクリオンの町の中心は海からまた少し上がっていったところにあるのだから。

自由行動はむずかしい、となれば船のオプション。クノッソス宮殿遺跡の観光は行く価値がある。四、五時間の停泊の間に最も見るべき場所といえば、やはりこの遺跡に違いない。

船からのオプションバスはたくさん出るが、今回日本人だけでバスを一台いっぱいにするような人数はいない。結果、二十五人の日本人客と、英語個人客と四十人でバスを一台にして観光すると、前日に連絡があった。

車内は当然英語のガイドが話す。そこを、誰かが日本語にして皆さんに伝えなくては、クノッソス宮殿の何たるかを理解してもらえはしない。
クルーズ船の日本人スタッフにはそういうサービスは全く期待できない、となれば、こういう場合グループに添乗している誰かが代表して通訳もどきをやる事になる。

前日の午後、部屋に戻るとクルーズデスクからメッセージが部屋に入っていた。行ってみると「日本人グループは全部で25人になるから、まとめて面倒みてほしいんだけど」とシニアパーサーからオファー。 今回は「こま通信」グループが多数派だったので、止むなくお役目おおせつかりましたが、ああ、緊張するなぁ。

クノッソス宮殿の見学は何度も行っているが、他の団体のメンバーと個人客を含めた25名に向かって説明するのは、なんだか試験を受けているような気分。

他のツアーから参加した口の悪いお一人は、出発前、冗談ともつかぬ口調で「間違ったら指摘してやるからな」との仰せ。いや、ま、こういう風に言う人には逆にあまり心配しておりませんが(笑)。

前日に説明担当になると決まってから、持ってきていた資料をあらためてひっくり返して読み直し、出発の時はやってきた。


バスでは二人のガイドが待っていた。遺跡では日本語グループも専用にひとりのガイドさんについてもらえるのである。
バスで三十分ほどでクノッソス宮殿。その間にクレタ島の事やギリシャ文明の事など、多岐にわたる解説。まずは英語でそのあと小松にマイクがまわってくる。

自分の好きに解説するのと違い、人の話したことを日本人に分かりやすいように消化して話すというのは、かなりのストレスがかかる。いつも使っていない頭の部分を使っているようで、時にあたまのどこかがじりじり熱くなっていくように感じる。
まぁ、三十分の時間ならば、なんとか耐えられる。

遺跡につくと、専用の英語ガイドと一対一になり、これでだいぶ楽になった。が、こんどは二十台ものバスの人数がほとんど同時に遺跡に入るので、見学ルートをうまくしなくてはならない。
クルーズからの観光バスは、いつでもこういう混雑にさらされる。

現在見られるクノッソス宮殿は紀元前1400年ごろのものといわれ、それ以前にもあった古い宮殿の上に建てなおされている。ゆえに一部には古い土台や建物もそのまま残されているが、このあたりの違いまで理解するのはちょっとムズカシイ。

しかし全体のイメージは、イギリス人エバンスがコンクリートを使って「再建」と悪口を言われるほどに復元してくれているので、素人目にも分かりやすいのは幸いである。

ミノア文明の主要な遺跡はクレタ島にあと三箇所あり、そのうちのひとつだけを小松も見学した事がある。そこは考古学的に不確かな「再建」はまったくされてないので、あまりにも「なにもない」場所であった。

観光客は想像力をめぐらす事さえムズカシイと感じられ、学術的に正しい遺跡が観光的にオモシロイとは言えないという典型的な例のように見えた。

遺跡の見学をする時に、多くは「古い時代」の事ばかりガイドしようとする傾向があるけれど、実際にそこを発掘していった経緯から入っていくとより理解しやすくなる。エヴァンスの人となりやその時代背景などがイメージできるように話をするのが、より面白い考古学へのアプローチであると思うのであります。

グループで混みあった遺跡をあっちこっちと小一時間程ご案内して、バスに乗り船に戻る。今年からはイラクリオンの考古学博物館の見学が含まれなくなったのは少々残念。再来年には新しい博物館になるような事を現地ガイドさんが言っていたので、期待したい。

*****
午後3時、船内放送があり、いよいよサントリーニ島へ近づいていく。この絶景の島がだんだんと近づいてくる様は見逃せない。
デッキへあがると、吹き飛ばされてしまいそうな強風でたまらず手すりの陰に座り込むが、目だけはずっと崖の上にはりついている白い町を見つめている。

船はゆっくりサントリーニ島のカルデラに入ってゆき、頂上の街に時折太陽の光が当たるといっきに白く輝きだす。上陸するころにはもっと晴れますように。

テンダーボートにのり、崖の下の港に到着した時には午後五時。名物のロバタクシーで上がる人二名、他はロープウェイで山上へ。 上にあがってから携帯電話で連絡をとり、無事合流。ほんとに便利になりました。

一時間半ほどの時間だけれど、「上まで来てよかった」と思ってもらえる場所へ案内したい。それにふさわしいのが、この写真の場所でありましょう。電線などをとりはらうと、どこかのポスターあたりで見かけた事がありませんでしょうか?

数々のパンフレットに使われて御馴染みのこの青いドームと鐘楼だけれど、これがけっこう分かりにくい場所にあるのだ。地元の人もあまり知らないので、「穴場」と呼ぶにふさわしい。
四年ぶりに来た小松も最初は道を間違えてしまったが、なんとかたどり着く事ができた。

雲は晴れて気持の良い春の陽射しである。



Back
予定なし
  • (2014-9-17)


  • (2014-9-17)


  • (2014-8-17)


  • (2014-8-14)


  • (2014-8-14)