朝、起きると船はトルコの港、クサダシについている。
船のオプションは世界遺産エフェソス遺跡の見学があるが、それには参加しない。あれだけの遺跡を二時間もかけずに、しかも大人数でどどっと見学するのはもったいない。今回もやはりクサダシの街を皆で歩くことにする。
七時過ぎにはすでにオプションへ参加する人が出払って、空いたレストランでゆっくり朝食。 八時にゆるゆると下船し町へ出る。まだシャッターがしまったままの店が多い。その方が物売りが寄ってこなくて良いのです。
港からすぐのところにかつてのキャラバンサライがある。トルコのキャラバンサライは、その帝国の最盛期の規律を物語るように、どこも同じようなつくりに統一されている。
中庭に入ると、昨年《手造の旅》で泊まったエディルネ(ブルガリアとの国境近く)のキャラバンサライを改築したホテルとほとんど同じ雰囲気がした。
新しい店が並ぶ一角から少し外れて歩く。かつて城壁に囲まれていただろう地区は整然と区画整理された古いトルコ風の家が並んでいる。中にはぼろぼろに崩れている家もあり、そこが「かつての」中心地であった風情が伝わってくる。
船から見えていたアタチュルクさんの像があった丘の上方向へ道をとる。とても頂上まではいけないけれど、こちらの方向に雰囲気の良い古いチャイハネやパン屋があったのを覚えていたから。
しばらく観光客向けのペンションや店が並んでいるが、それが途切れたあたりから古い家並みの住宅街となる。そろそろ学校や仕事へ行く人たちとすれ違う時間。
パン屋には焼きたてのパンがあるに違いない。
最初、匂いからそれとわかったパン屋。その小さな売り口からトルコで一般的な胡麻パン=シミット(ゴマがたくさんついたプレッツェルのようなもの)が焼きあがって積み上げられているのが見えた。
シミットと肉やチーズの挟んであるパイを買って、すぐ前にあるチャイハネに入る。天井近くに古いテレビ、壁にはアタチュルクさんの肖像、何するでもないトルコの男達が数人。
空いた一角をずらっと占領した日本人を、なんとはなく興味深そうに見ているが、悪意は感じられない。トルコ人はほんとに親日なのであります。
全員のチャイを注文。んんんん、やっぱり、トルコのチャイはおいしい!船でTEAを注文してもティーバッグでしか出てこないから、その違いがはっきり分かる。
シミットとパイと共にしばらくチャイハネで過ごし、今度は坂を下りて海辺の城砦へ向かう。香港かと思うような急な階段や坂を下りて、ほどなく海へ出た。
二十年ぐらい前はたしか軍が管理していた17世紀頃の城砦島へは堤防で歩いていくことができる。中の塔へは入れなかったが、春の花が様々に咲いた楽しい城砦公園であった。
11時前、船に戻る。そろそろエフェソス遺跡へ行ったオプションバスも戻ってくる頃になる。
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午後3時過ぎ、船はパトモス島へ到着。
このクルーズで立ち寄る一番小さな島であるが、「地中海のエルサレム」という表現もされる、キリスト教徒にとって重要な場所。新約聖書の最終章=黙示録をヨハネが神から啓示として受けたのがここであるから。
船のオプションは黙示録の啓示があったヨハネの洞窟とその上のちょっとした山上に位置する要塞修道院を訪れる。満載のバスで英語の解説のみ。町歩きの時間もとれないから、今回も島のタクシーを分乗して利用することにする。移動はオプションのバスと同じく船⇒洞窟⇒修道院⇒船、である。
タクシーの値段、今年は一台30ユーロ。過去の自分の日記を検索してみると2004年は20ユーロ、2007年は25ユーロであった。
それでも船のオプションは一人50ユーロ以上とるのだからよほど安い。
「安い」事には多くの場合引き受けるべきリスクもある。このタクシーの場合にはくねくねした道を相当なスピードで走るスリルと移動のピックアップ時に待たされる事が多いという事だろう。
港からはすぐにタクシーに乗れてすぐに「ヨハネの洞窟」へ到着できたが、そこを出てから上の修道院へ行くのにけっこう待たされた。
同じ番号のタクシーに乗るのが基本なのだが、欧米人はけっこうテキトーで、自分達の乗った車でなくてもささっと乗っていかれたりするもんだから、ショウジキでリチギな日本人はワリを喰ったりするのだ。
たった三台なのに十五分以上もの時間差で修道院へ到着。ここで一時間見学。
修道院のあった場所には古代から神殿があったそうで、現在の教会の入り口柱に使われているねじれた柱は確かにその時代からのものだと納得させてくれる。
何重にも重ねられたフレスコ画は12世紀から19世紀のものまで様々。現役の教会だから煤で真っ黒なのは仕方がない。薄暗い小さな本堂には天井からわずかに光が落ちてくる。見上げると、パントクラトール(全能)のキリストが見下ろしていた。
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タクシーがやってくるまでまだ三十分ほどある。短い時間だが、この修道院をとりまく古い村を歩いてもらう。
白く塗られた壁や道。すれ違う事もままならない細い道は予想も出来ない方向に曲がっていき、とつぜん彼方に海が見えていたりする。長い時間がつくりだしてきたこういう場所は、誰かが造ろうとして出来るものではない。
この写真のような路地を歩くことでパトモス島の魅力がぐっと増して感じられる。少なくとも自分にとってはそうだ。
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パトモスの港に戻ってきた。
船へ戻って夕食にするか、この村で食べるか。
船の食事はわりにおいしいが、大量に同じ注文をこなさなくてはならない船では出されないものもある。 この島ならば、新鮮な魚貝類も見つけることが出来るだろう。
小さな村の奥へと向かい、ちょっと良さげな店を見つける。入ってすぐに、先客が食べていた魚の匂いに魅惑された。定番のイカ、タコ、エビ、のあとに大きめの魚を三匹焼いてもらう事にする。
一匹は黒鯛と分かるが、あと二匹もそれほど大きな魚ではないが名前は不明。これらは脂がしっかりのっていて日本の魚とは違う味わいだが、醤油などかけたくならない。
「おいしいねぇ!」とほめると、料理を運んでいるその店の息子とおぼしき彼は笑顔になって「今日、仕留めてきたんだよ」と、水中銃で撃つ動作をした。
パトモス島の路地にあるペンションに滞在して、この店にまた来たいものであります。