シチリア、モンレアーレの大聖堂の本堂とその天井。
天井の装飾だけをみると、スペインのアルハンブラ宮殿あたりを思い出させる。こういうスタラクタイト様式はイスラム教の開祖ムハンマドが瞑想した洞窟からきているもので、まさにイスラム的な装飾だといえるだろう。
教会というキリスト教空間において、イスラム的な装飾を取り入れることに違和感はなかったのか?と思えてくるが、それは12世紀シチリアが現代よりもコスモポリタンな土地であった証拠。
これらの教会は、先住のアラブ人に代わりシチリアの支配者になった異邦人であるノルマン人の王が建設した。彼にとってはキリスト教徒であるギリシャ人・ラテン人であってもイスラム教徒のアラブ人であっても、能力があればそれでよかった。
事実当時の公文書はギリシャ語とラテン語とアラビア語。官僚もイスラム教徒が多数居たことが分かっている。当然、建築の分野においても多様だっただろう。要するにそれぞれの分野において優秀であれば登用される素地があった。
土地にしがらみのない民族が施主であればこそ、このような装飾の教会になったと思えるのであります。