モンレアーレからパレルモの街を抜けて海に至る、直線8キロの道がある。いや、もともとは海からはじまって新しい街であるモンレアーレまで伸ばされたといった方が良いだろう。
港から、ノルマン時代の王宮近くのポルタ・ヌオーヴァへ至る道は、中世から目抜き通りだったようだ。現在のヴィットリオ・エマニュエレ通りになる。しかし、当時はこんな風な直線ではなかったようだ。
少し詳しい資料を読んでいたら「1564-7年にかけて、道をまっすぐにする工事が行われた」と書かれていた。
パレルモの地図を見て、この直線道路ともうひとつ直角に交差する道を見つけたときには、「ローマの計画都市の痕跡だ」と早合点した。
ローマ時代の東西南北の直線路カルドとデクマヌスは、現在でもすぐにそれと分かるものが各地に残されている。が、今回のパレルモケースではどうやら違うようである。
都市計画というものを古代ローマに求めるというスタイルではあっただろう。それは、現代の都市づくりにおいても変わらない。
※写真はモンレアーレからの帰路、カルミネ通り突き当たりにパレルモの入り口であるポルタ・ヌオーヴァが、太陽に照らされている。