この4月、三十人のトルコ人が日本へやってくる話がきこえてきた。
昨年、2010年5月に催行した「《手造》トルコ、エディルネへも行く」で、手配を担当していただいた現地会社、その社長の親族が企画されたのだそうだ。
※2010年5月14日からの日記をご覧下さい。ブルガリアとの国境の町・エディルネにあるトルコ式モスクの最高傑作・セリミエモスクを訪れる日を組み込んだなかなかない行程です。
日本からトルコへのツアーはたくさんあるが、トルコから日本へやってくるツアーは少ない。どのように案内すべきか、モデルコースはまだないのである。実際、日本での行程をイスタンブールで考えている日本人の方も、どのような場所に案内すれば良いのか思案しておられるようである。
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そこへ、たまたま昨年のトルコツアーへご一緒したとお話する機会があった。その方は旅の中で知った話から、帰国後「海の翼」という文庫を読み、それを小松に勧めてくださった。
トルコを旅した日本人は、まず例外なくとても親日的なトルコに驚き、とても嬉しく思う。そして、その理由を知りたくなる。これはその原点を説明してくれる本である。
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百二十年前、紀州沖で難破したトルコ船・エルトゥールル号の乗組員を串本の日本人たちは懸命に助け、日本政府は船を失ったトルコ人たちを日本の軍艦でイスタンブールまで送り届けた。
トルコではこの事実は学校でも教えられていて、多くの国民は日本に対してとても良い感情を持っている。
そう、中国でも韓国でもなく日本。
《手造》トルコで、一般ツアーなどほとんど行かない黒海沿いの町サムスンに着いた時の事。おそるおそる「ジャポンヤ(日本人)?」と質問したトルコの人。小松がYESと答えると満面の笑顔になって、トルコ語でどしどし親切にしてくれたっけ(笑)。
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1985年3月、イラン、イラク戦争の最中、テヘランから脱出できなくなった日本人を、トルコは危険を承知で飛行機を派遣して救出してくれた。
小松は、この話は以前から聞き知ってはいたが、はじめてその詳細を理解することが出来た。
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4月にやってくるトルコの人たちの目的は「お花見」「舞妓さんに会いたい」「富士山が見たい」という、外国人が日本にもとめる最もありがちなものだそうだ。
しかし、ここで考えたい。
日本を訪れる「トルコ人」に、本当に忘れがたい印象を残せるのはどういった旅なのか?
日本を訪れる「外国人」ということではなく、「トルコ人」に対して、ありきたりな行程しか提案できないとしたら、日本の現地手配会社はふがいない。
小松なら、三十人のトルコ人には是非串本を訪れてもらいたい。そこは多分日本でいちばん親トルコ的な町であります。
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/turkiye/index.htmlhttp://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/nagomi/web/nagomi05/travel/index.html